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大隈重信と岩佐又兵衛
早稲田大学に行って来た!!
実は早稲田大学には、演劇博物館なるものがあり、今回は「中村歌右衛門展」を開催していたからだ。
展示室は狭く、薄暗かったが…内容はそれなりに充実していて、楽しかった。
何よりも…無料なのが良い。
処で…今ではとっくに無くなったものと思っていた学生運動を、未だやっているので驚いた。
しかも…大隈重信の銅像の前でだ。
大隈重信の言葉に、次の様なものがある。
『政治には、側面がある。 まして裏面がある。 歴史(教科書の記述)は、よほど浅薄なものだ。』
そんな言葉を思い出しながら、シュプレヒコールを漠然と聴いていた。
歴史の英語は「history」だが、分解すると…「his story」になる。
歴史とは、彼つまり…勝利者の物語なのだ。
ここに「岩佐又兵衛(天正6年(1578年)〜 慶安3年6月22日(1650年7月20日)」と云う画家がいる。
江戸時代の始まる頃に、既にこんなに凄い絵を描いた人なのだ。
彼は、戦国時代の武将・荒木村重の妾腹の子だったが、彼が2歳の時に父・村重は織田信長に謀反して敗れ、又兵衛は乳母につれられて逃げ延び、以来…母方の「岩佐」性を名乗って成長した。
村重は運良く逃げ延びたが、家内一同は、皆殺しにされている。
村重は、毛利と組んで信長征伐に荷担した為であったが、彼なりに、謀反する理由があった筈である。
しかしそれは語られることなく、信長に謀反した不届きな奴と云う扱いになっている。
これも矢張り、勝利者の歴史しか…後生には残せないからだ。
幼くして両親…特に母親を亡くした又兵衛は、「山中常盤物語絵巻」の中に託して、自分の母親の殺される瞬間を描いている。
この…死に往く常盤御前のまなざしを観て下さい。
又兵衛はヒョッとして、母が殺される瞬間を…観ていたのではないだろうかと思わせる、描写力である。
父・村重では語れなかった諸々の事を、絵に託して描いたのだろうと推測している。
彼の描いた絵こそが…歴史の側面であり、裏面でもあるのだと、しみじみ感じさせられた。
と云うことで…今週の週刊文春(5月6日13日合併号)に書かれている「小沢一郎」の、『岩手めんこいテレビ』創設の時の話は、本当なのだろうか!?
権力者に力が無くなって来たので、次第に昔の悪事が浮かび上がって来る様だ。

