太地喜和子さんのこと
今日は、1992年に亡くなった、太地さんの命日なので、彼女との想い出を書きたいと思います。
彼女と知り合った年月日は定かではないが、20年程前に、友人の名歯科医・市川信一君に紹介されたのがキッカケだった。
その日市川君の友人達で、太地さんのお芝居を観て、その後赤坂の料亭で食事をしながら、太地さんの到着を待っていた。

1時間程遅れて来た太地さんがいきなり言ったのは、「先生!! いつもの!!」と云って、新赤坂クリニック院長の松木康夫先生に胸をぐっと突き出したのだ。
すると松木先生は、どれどれとばかりに太地さんの右のオッパイを直に揉みし抱いて「大丈夫!!」と云い、次に左の胸を揉んで「心配ない!!」と云った。
そこで太地さんが「あぁ良かった!!」と一言。
これは太地さんと松木先生のいつもの乳ガンの触診検査だったのだが、いきなり堂々と胸を差し出す姿を見せられて、彼女の持つオーラと云うか、今ではすっかりなくなり、江戸時代にはあったであろう…婀娜(あだ)っぽさや艶(つや)っぽさに加えた、色っぽさと気っぷの良さを感じて、あっと云う間にファンになってしまった。
その席上で僕は太地さんに「太地さんは日本酒がお好きな様ですが、数ある日本酒の中で一番好きな銘柄は、何ですか?」と訪ねた處、即座に『雪中梅よ!!』との応えw(゜o゜)w
「何故ですか?」と僕…すると『日本酒はね、吟醸酒は美味くて当たり前なのよ!!矢張り、お米全体を使って出来たお酒じゃないと、本当の日本酒じゃないと思うの!!』との話に、すこぶる納得して、「太地さんは、雪中梅が手に入るのですか?」と訊くと、『それがねぇ…入手が難しいのよ!!』とのこと。
「僕は結構手に入るんですよ。」と云うと『あらっ、羨ましいわねぇ…でもそれって、下さるってこと!?』「いえ…今度入手したら送ります!!」『駄目よ!! 送ったんじゃ…会えないじゃない!! だったらお芝居の度に持って来て、楽屋に廻って顔を見せてよ!!』 と云う嬉しい会話に快諾して以来、太地さんとの交際が始まったのでした。

それからお芝居の度にチケットを送って下さり、そうすると僕は、そのお芝居が始まる前迄に雪中梅を入手しては、せっせと太地さんの楽屋に通いました。
楽屋の暖簾(のれん)を開けた時に、ニッコリ笑って迎えて下さる太地さんの笑顔が、忘れられません。
その後何度も友人達と太地さんを囲んでの呑み会がありましたが、僕はいつも太地さんの魔の手から逃れることにしてました。
と云うのも、当時の太地さんは恋人と別れたばかりの頃だった様で、呑み会の後は必ず何人かの友人達を引き連れてご自宅に行き、朝迄呑むのが恒例だったからです。
翌朝友人達に訊くと、本当に太地さんはお酒に強くて、男共がみんなダウンしていても、悠然と呑んでおられたそうです。
そんな1992年の10月の初旬に、市川歯科医院に行った時に院長から、「太地さんが、守ちゃんは直ぐに逃げるから、今度は僕((市川歯科医)と3人だけで呑もう!!って云ってたよ。」とのメッセージを受けたので、「来週からニューヨークに行くので、帰って来たら呑みましょうと伝えておいて!!」と話した。
そして太地さんの死を知ったのは、そのニューヨークでだった。

文学座の名優で、杉村春子さんの後継者と見なされていただけに、演技の上手さは勿論だけれど、寅さんの様な映画の中でも、コミカルな役も素敵にこなせる名優だった。
最後に太地さんから教えて貰った、盃で日本酒を呑む時の姿勢をお教えしましょう。
盃は出来るだけ平たいものを選んで、そうすると自然に肘が上がるので、実に格好良く見えるのだとのこと。
実は太地さんがその姿で呑んでいる写真があるのですが、探してあったらお知らせしてアップしますので、ご覧下さい。
それまでは、この嬉しそうな小生のバカ面でもご覧下さい。

尚太地さんの芸名の苗字は、和歌山県東牟婁郡太地町の出身から、付けられたと聴いています。
ご冥福をお祈り申し上げます<(_ _)>合掌