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2007年05月26日

俳優祭に行ってきた


俳優祭とは耳慣れない方も多いと思います。
これは、歌舞伎・新派・新國劇の方々が、お客さまと接する祭典なんです。

僕の歌舞伎歴はもう10年なのに、始めての参加でした。
いつもと違って、歌舞伎座の横の売店で、お弁当を売っていない…困ったなぁと思いながら、歌舞伎座の中へ・・・入った瞬間から、ごった返しの大賑わい。

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一体なんでこんなに賑わっているのかも解らず、いつもの様に、イヤホンガイドを借りに…するとそこでは、黄色いチケットだけを販売している。

何がなんだか解らないでいると、後ろに並んだ年配の女性から、「今日は、このチケットでしか買い物が出来ないの。出し物は解り安いから、イヤホンガイドも要らないの。」との説明があり納得。

そこでプログラムを見ると、昼休みになると、役者さん自身が販売員になって、色んなものを販売するとある。

「海老蔵がから揚げ&フライドポテト」の担当とあり、これは大変な混雑になるだろうと予測したら、案の定。
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海老蔵の處では、写真を撮る人達が物凄く多く、買うことが出来ません。

隣では、お父さんの団十郎さんが、にぎり寿司を売っている。
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病気が治って良かったなあと思いながら、禿げ頭をじっくり堪能。

よぉしとばかりに、全売店を巡った。
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秀太郎さんと愛之助親子がドリンクを販売している。
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松緑も大声で、ドリンク販売をしていた…実に似合っていた。

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右近さんが、Tシャツの販売…この人の笑顔は、実に魅力的だ。

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春猿さんがドリンク販売~似合わない。
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勘太郎と七之助も、ドリンク販売~税金問題は、大丈夫!?

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地下の三津五郎の處に着いた時には、既におでんは完売しており、ひたすらお詫びをしていた。

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Tシャツ販売の仁左右衛門さんの売店は、海老蔵に次いで、賑わっていた。

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やっと錦之助さんの處で、おにぎりを買ったら、「襲名記念カレンダー」を下さった。

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僕は、弟がナカムラカツオと云う名前なので、小さい頃には、『錦ちゃん』とあだ名されていたことがあり、初代中村錦之助さんと幼い二代目の写真を、懐かしく見入ってしまった。

◎念の為・・・初代中村錦之助さんの弟は、中村嘉津雄(かつお)さんと云う俳優なんです。

そしておにぎりを食べてから、買い物に。

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梅玉さんは、サインと隈取り(くまどり)を売っていた。
土蜘蛛などは、1枚20万円もしたのに、ビックリ。

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中村橋之助君は、大変親しく写真を撮らせてくれた
~奥さんの三田寛子さんは、不在で残念。

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笑也さんは1階で、かぶき手帖の販売~何故かしっくり合っている。

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獅童に「おとうさん」と声を掛けられ、結局そこで、鰊の山椒漬けを買う羽目に~竹内結子との離婚問題は、進展してるの?


またこの公演では、日本俳優協会賞の授賞式も行われ、中村京蔵さんが表彰を受けた。
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彼の名前は全く知らなかったが、司会者に促されて彼が言った一言で、解った!!

「勘定奉行に…お任せあれ!!」
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残念乍ら、主演の阪東玉三郎さんだけは、出ていなかった。
彼が販売していたら、海老蔵同様大変な騒ぎになっていただろう。

そこで最後の出し物は、玉三郎主演の「白雪姫」。

童、動物、小鳥の着ぐるみを着ると云う、大変恥ずかしい格好を演ずるのは、先程販売員として紹介した、全て主役を張れる役者さんばかり。

殊に仁左右衛門さんがお猿の着ぐるみで、しかも頬に赤く○を描いていたのには、噴飯ものだった。

また『北千住観音』も、中国の「千手観音」を模して、良く出来て可笑しいものだった。

因みにヤフー・オークションで、この日のチケット代金を観ていたら、2万円の席が、5万円で売れていた。
それでも価値のあるものなのだと、行った後で理解出来た位、楽しい一時でした。

2007年05月08日

美術館巡り

今日は、美術館巡りをした。

先ず上野に行き、国立西洋美術館で「イタリア・ルネッサンスの版画」展から開始。
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いつものロダンの地獄門に迎えられて建物に入る手前で、見知らぬ方に声を掛けられ、「同行者が来れなくなったので、このチケットをどうぞ。」と云うことで、招待券を戴いた→ラッキーなスタート(*^_^*)

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この展覧会には、著名な人のものはなかったが、この版画を観て、あの画家が、あの有名な絵画を描いたのかと云う様なことが解った。

次に東京国立博物館。
ここには今、「ダヴィンチの受胎告知」が展示されているので、もの凄い人の列だった。
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この大きな木の向こう側に長い列が・・・見えませんかねぇ。

と云うことで今日はこの列を避けて、期限が明日6日迄の、黒田清輝展を観た。

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ここでは、恋い焦がれていた「湖畔」を観ることが出来たのが、収穫だった。

そして同じく東京国立博物館の中の、平成館と本館の常設展を始めて観た。
ここは、改めてじっくり時間を掛けてるべきだと判断して、ざっーと観るだけにした。


そして次に、東京藝術大学で、「洋画家たち百年の夢展」だ。
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ここでは、子供の頃にカレンダーで観ていた、藤田嗣治の「私の夢」や、梅原龍三郎の「紫禁城」等を直接観られて、とても懐かしかった。

所有者は「新潟県立近代美術館」となっていて、当時の大光相互銀行(現・大光銀行)の頭取だった『駒形十吉』氏の慧眼に、改めてつくづく感心した。

更にここには、黒田清輝の「智・感・情」を観ることが出来た。
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全く期待していなかったので、もう嬉しくて々、本当に来て良かったと思った。
この展示会だけは、6月10日迄開催してますので、時間があったら、是非行って観て下さい。


それから根津神社の「つつじ祭」に向かった。
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つつじは既に最盛期を越えていたが、人出は物凄いものだった。

そして最後に、谷中ぎんざを通って、日暮里へ・・・と云う旅程(?)でした。
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締めて30,000歩でした〜疲れましたが、楽しい一日だったので、良く眠れました。

それにしても、黒田清輝の黒田は「KOURODA」だったし、藤田嗣治の藤田は「FOUJITA」であった。
僕も今度から、英語で正確な発音になる「NAKAMRA」にしようか・・・!?

5月4日

今年の5月4日で、僕たち夫婦は、結婚満35周年を迎えた。


處でこの5月4日は、戦後政治史の中で重要な方がお二人、同じ誕生日なのだ。
笹川良一氏(1899年生)と、田中角栄氏(1918年生)である。

しかも幸いなことに僕は、お二人とは何度かお会いする機会を得ている。

先ず笹川良一会長とは、岳父(家内の父)が笹川家の企業の仕事をしていた関係でご尊顔を拝する様になり、その後数年に亘り、何度となく親しくお話する機会を得られた。
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90歳を越えられた頃から、名前を云わないと僕だと理解して貰えなくなっていき、遂に車椅子に乗っておられる姿を見ることが、とても辛かった。


一方田中角栄氏とは、父が親しくお付き合いさせて頂いていた関係で、僕が就職の時には、連帯保証人にもなって頂いた程だ→コピーを取っていなかったのが、極めて残念であった(>_<。)

しかしお付き合いとは云っても飽くまでも父を通しての関係であり、一人で直接お宅に伺ってと云うことは、皆無であった。
但しパーティーの時には、堂々と先生に近づくことが出来た。
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先生に近づいて行くと、僕のことは解らなくても先ず「おぉ良く来たな!!」と言ってあの大きな手で握手をして下さるので、すかさず「中村歐歸男(おきお)の息子でございます。」と云うと、握手している手をぐっと引っ張り、僕の耳元でささやくのだ。
「お前の親父は、用がないと来やしない!! 元気でやっているのか?」と訊かれる。
そこで僕が先生の耳元で、「お陰様で、息災でやっております。」と云うとまた僕の耳元で、「前々から、ビジネス・ホテルを観たいと思っていたので、是非案内してくれる様に、親父さんに伝えてくれ。」と依頼され、「承知しました。」と云って、握手した手が離される。

丁寧にお辞儀をして4〜5歩程離れた處で、田中先生から『おぉ〜い、中村君!!』と大きな声で呼ばれる。
振り向くと、『さっきの件、頼んだぞ!!』と、一層大きな声を掛けられる。
僕も少し大きめな声で「承知しました!!」と応える。

これが、《田中角栄の気配り》なのだ。

何故ならこの後の僕は、まるでパーティーの主役になったかの様に、色んな人から「何を話したのか?」「どういう関係なのか?」「何を頼まれたのか?」等々、様々な質問を浴びせられるからだ。

田中先生はこうなることを全て見越して、僕にわざとあの様にして下さったのだと理解している。

何故なら、これと同じ様な会話を、あちこちのパーティーで何度か繰り返し、その度毎に周りの人達が、同じ様に反応したからだ。

その度に父に報告していたのだが、父は、田中先生が本気でビジネス・ホテルを見たいとは思えないと云って、取り上げて貰えなかった。

何度目かの時に父に、「田中先生は本当に本気なので、是非ホテルに来て頂きましょう。」と強力に言って、遂に目白のお宅に伺った。

そこで始めて、田中先生が本気でビジネス・ホテルの見学したかったと解り、日程を決めたのだが、来て頂くことが叶わなかった。

先生がご病気になられたからだ。

今でも残念に思っていることの一つだ。

因みに、犬猿の仲と云われた笹川良一氏と田中角栄氏のお二人は、後年何度となく会談している。