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2006年08月10日

高松伸君の事

今日は、畏友・高松伸君の事を書きたいと思います。

20年近く前、名古屋の友人:加納隆さんからの紹介で、京都で会ったのが始めてだった。

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大変高名な建築家と紹介されたが、その頃の僕も結構勢いがあったので、彼の名声については余り気にならなかった。

昨年来立て続けに会い、同年齢の事もあり、改めて気の合う友人なんだと、認識した。

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そして仕事も少し一緒にする様になって、中々の奴だと感じ始めていた。

そんな時、彼の作品集を貰って、度肝を抜かれた。

まずは、ご覧下さい。

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天津博物館・全景

日本でも凄いが、中国・台湾はもとより、ロシアなどでも、沢山建てている。

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天津博物館・夜景

日本でのものも、ご紹介します。

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国立劇場・おきなわ

先日、名古屋医科大学で、彼の講演を聴いたが、素晴らしいものだった。

これからの建物についての概念と医療の融合についてであったが、その見識の高さ、知識の広さや深さには、改めて感心してしまった。

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真宗大谷派 東本願寺 

これからは気軽に、「伸ちゃん!!」等とは呼べない様な、気迫さえあった。

しかしその夜、深夜までの語らいで、相変わらずベロベロに酔っぱらった彼を見て、やっぱり友達で行けるんだと、安心した。

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キリン本社

彼はこれから、希代の天才建築家と呼ばれる様になるだろうと、確信している。

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ワコール本社

しかし呑む時は、いつもの伸ちゃんでいて欲しいものだ。

次回は今月24日、株式会社フェイスの平澤創社長も交えての、懇親会で京都で会う。

こんな素晴らしい建築設計家が日本にいることを、知って頂ければ幸いです。


☆参考ホームページ

http://www.jcarb.com/KenchikukaShousai_9302182.html

http://www.takamatsu.co.jp/

2006年08月09日

七夕祭り

今日は、七夕祭りだ。

江戸時代に、「かかぁ・・・織り姫と彦星は、可哀想だなぁ・・・一年に一回しか会えなくて。」と云うと、「ほんに、そうだねぇ・・・おマイさん。」と答えたとの話がある。

それを聞いていた彦星が、「人間ってバカだねぇ。だって僕たちは、今年で50億回も会っているのに、人間は、毎日会ったって、せいぜい3万回程度なのにねぇ・・・。」と云ったとか。

矢張りお星様は、スケールが違いますね。


扨、話はガラッと変わりますが、随分前から僕は、「粋」と云う文字について、疑問を持っていた。

それは、片(ヘン)が「八十八」で、旁(ツクリ)が「九十」だからだ。

「粋は深川  いなせは神田 人の悪いは○○○」と云われる位、江戸時代では「粋(イキ)」が尊ばれた。

この○○○は、何処を指しているか、解りますか?

答えは、一番最後に・・・!!


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粋でいなせの代表が、江戸の火消し衆です。


故・杉浦日向子さんの著書「ぶらり江戸学」には、この様に書いてあります。

少し長いのですが、是非お読み下さい。

『この「粋」という文字を、江戸では「イキ」と読み、上方(京都・大阪地方)では、「スイ」と読むんです。

おんなじじゃないかと思われるかもしれませんが、全然違うんですね。

「粋(イキ)」と「粋(スイ)」。

「イキ」にはいろいろ当て字があるんですけれども、ます、意見の「意」に気持ちの「気」。

「意気地」を張るとか、つっぱりの感じが、「意気」です。

ちよっとした着崩した感じとか、不良っぽいのが「いきだね。」と云う場合は、この「意気」を書きます。』

中  略  「大江戸の 夏は隅田の 夕涼み」

『これに対して、上方の「スイ」は、割とこの「粋」の字一つの様です。

で実は、この「粋(スイ)」というのは、呼吸の「息」に通じるんです。

ということは、上方の「粋」には、「吸う」に通じます。

上方の「粋(スイ)」は、身の回りのあらゆるものを自分の身の内に取り込んで、血肉として自分を磨いていく。

いろいろ習い事をしたり、情報を集めたり、教わったり教えたりという、人の間でもまれて身の内に吸収して、「粋(スイ)」になっていく。

おしゃれにしてもそうです。 お白粉を塗る、紅を重ねる、着物を重ねるというふうに、どんどん乗せていく、プラスの美学なんです。

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廓文章から、大阪新町にある「吉田屋」で繰り広げられる、芝居。
着物が、沢山重ねられている見本です。

これが「粋(イキ)」になると、マイナスの美学ということになります。

さきほど、「粋(イキ)」は「息」だと言いましたが、呼吸は吐いたときに「息」になるんです。

吸っているときにはただの空気で、それがからだの中を通って、吐いたときに息になる。

この、身の内から外に出していくというのが、江戸の「粋(イキ)」なんです。

こそぎ落としていく、背負い込まない、吐いていく、削除していく、そうやってぎりぎりの最低限のところまで削り取っていって、最後に残った骨格のところに、何か一つポッとつけるのが、江戸の「粋(イキ)」なんです。』

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助六の見栄・江戸の粋の典型的なスッキリした艶姿。

つまり、上方の粋は足し算で、江戸の粋は引き算だと言うことだ。

「宵越しの金は持たねぇ・・・。」と言う位、スカンピンでも恥ずかしくはなかったのだろう。


それにしても、八十八と九十の間とは・・・八十九が粋なの?

この疑問を、共立女子大学の内田保廣先生に訊いてみた。

「八十九即ち、八九=やく=厄が抜けていると解釈してますが・・・。」とのこと。

納得!!

ですから・・・七夕に書いた話を、敢えて今日、8月9日に掲載しました。

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仁左右衛門の火消し姿・・・粋でいなせな、男の艶(あで)やかさの典型だね。

と云うことで最初の「人の悪いは○○○」・・・解りましたか?

答えは、「日本橋」でした。

2006年08月04日

親父友達・大塚会長から教えられたこと

今日8月4日は、大塚製薬の創業者のお一人である、大塚芳満氏が亡くなられて、満7年目になります。

それを想い出して、大塚さんとのお付き合いを書いてみたいと思います。

但しこの文章は、亡くなられた後、追悼集に掲載させて頂いたものに、写真を加えたものです。

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親父友達・大塚会長から教えられたこと
                                        中 村 守 夫

  「君は、勉強に来たのか?遊びに来たのか?」これが大塚さんから私への、第一声でした。
ニューヨークのケネディ空港で、1987年8月29日(土)の午前10時30分。
経営合理化協会主催の「アメリカの‘87新しい動き」という研修旅行で、ボストンに向かうPA-528便に搭乗する直前のことでした。
  何人かの悪友も一緒に参加していましたので、研修の方はそこそこに、結構羽目をはずすことも多い旅行でした。
その中でも前の晩、ニューヨーク・ハドソン河のナイトクルーズの船上で、私がアメリカ人の可愛い女の子を誘ってダンスをしたことを指しての発言であることは、すぐに気が付きました。

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今考えると失礼な返事をしたものだと思っていますが、その時の私は「会長だって、昔は女の子とダンスくらいしたでしょう?」というものでした。
すると「ああ、君がきのう踊っていた女の子よりも、もっと可愛い子とな!」との返事!これには驚きました。
  さらに厚かましく私が「随分綺麗な、お若い奥さんですね!?」というと「ああ、あれは二人目やからな!!」と。
なんちゅう人じゃこの人は…絶句しました…私。 この時からです。 
大塚芳満という人に興味を持ち続け、そしてその想いは今も尽きません。

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 思えば大塚さんとのお付き合いは、こんな会話の連続でした。
  最初の思い出深い出来事は、この旅行中のことでした。
同行した我々悪友連の間では、奥様を「八千草薫」、会長には「菅原文太」とひそかにあだ名をつけておりました。
旅行の最後にお別れパーティーを催すことになり、私が責任者になっておりました。パーティーの開会の言葉をお願いに文太会長のお部屋へ伺った時でした。
そんな感じでみんなには、「行ってくるよ」「行っておいで」とばかりに気軽な気持ちで出掛けたのですか…。「君達若い者が考えているんだから、自由に、好きなようにしたまえ」というばかりで、なかなかお引き受け下さいませんでした。
そのうち私の困惑した様子をみてか、不承不承ながらお引き受け下さいました。
  翌日の夜のパーティーでは、昨晩の仕返しとばかりに豚のお面を会長に被っていただき、徳島の阿波踊りをお願いしたのです。
すると今度は気持ちよくお引き受け下さり、阿波踊りの指導を兼ねて奥様と一緒にその場を大いに盛り上げて、最後は全員で阿波踊りを踊って、大変楽しいお別れパーティーを催すことができました。

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我々悪童共は呆気にとられ、まさに一本とられた感じでした。
まるで親鳥が羽を広げて包み込むような、そんな温かさを感じ、会長のスケールの大きさに心から感動しました。
  翌朝、団長の高島 陽さんから、「今まで経験した『お別れパーティー』の中で、昨日のが一番楽しかった」と言われ、企画した仲間全員で喜び合いました。

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これ以降、鳴門と東京で、会長と私の文通による遠距離交際(?)が始まったのです。
私にとっての会長は、「親父友達」という不思議な関係になってゆきました。

 そんなお付き合いの中で、私の事業の方向性を大きく変えた助言がありました。

 1995年の2月に、私は、ザ・ビートルズのメンバーで、故「ジョン・レノン氏」の記念館を日本で造る構想について、すでに未亡人の小野洋子さんとの契約も済ませていたにもかかわらず、最終的に実行に移すべきか、止めるべきかを悩んでおりました。
 家内の薦めもあり、ご迷惑と思いながらも会長にお手紙を書きましたところ、すぐに次のような返事を下さいました。
  要約しますと、「本当の商売というものは、他人の名声を利用したものではなく、自分の力でできる仕事をすることだと思います。また君は、それができる人だと思っています」と諫められ、励まされたことです。

 このお言葉によって私の中の迷いは吹っ飛び、「ジョン・レノン記念館」の建設計画を断念しました。
 なお余談ですが、今年(2000年)の10月に「ジョン・レノン記念館」が埼玉県の大宮で竣工の予定です。
私は、このプロジェクトには参画しておりません。

  そして一番激しくやり合ったのが、最後にお会いした時でした。
奥様と私からの二つの「延命のお守り」を持ちたくないと言いだされたのです。
鳴門へお伺いして「延命の願いを込めたものだから、ぜひ持って欲しい」と申し上げたのに対し、『人の命は天命であり、お守りを持ったくらいで命が延びるものではない。』と強く拒否されました。

  当時会長の癌については、御家族の方のみが御存知で、会長自身も知らないことでした。
しかも12月まで持てばいいと言われていた年の、9月のことです。
一日も長く生きていただきたいとの一心でしたので、私の語気も失礼なほどに激しくなり、返す会長の言葉も強くなりました。
  その時のやり取りを気に掛けて下さったのでしょうか、会長から最後に戴いたお手紙には、こんな風に書いてありました。
  『私にとって、お守りは猫に小判です。あなたも金運があって信じたみたいだけど、まだあなた、1年、半年で答えはムリですよ。それほどご利益があるなら、デスクに置いて、ずっと2~3年実験して下さい。私の延命は、誰もわかりません。運があれば4、5年、なければ一年でオダブツですよ。』(原文のままです。)
 消印は鳴門局で、平成10年11月16日。亡くなられる9ケ月前のことでした。

お通夜の時に奥様と、「お守りは持っていただけなかったけれど、こっそりとおそばに置いたお陰で、8ケ月の延命ができたんですよね。」と慰め合いました。
 
話は前後しますが、ある時、私の事務所にお越しいただいた折に、手土産代わりだと言って、こんなことを仰いました。
  「人を観るときには、相手が有名だとか、お金を持っているとか、テレビやマスコミによく出ているとか、そういったことを一切抜きにして、自分の勘、すなわち心の眼でみて人を判断せよ。」
  この言葉を、いまでも初めてお会いする人との名刺交換の際に、思い出します。
  これまで数え切れないほど沢山のことを会長から教えていただきましたが、『自分の力でやり遂げよ! 他人の力を頼るな!!』という根本の教えを、これから私がどの程度実行していけるのか、天国から見守っていただきたいと、願って止みません。

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 心から御冥福を、お祈り申し上げます。ありがとうございました。

  感謝合掌