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2006年03月25日

☆岡山の後楽園に行って来ました

Jacasseには、岡山県の玉野と云う処に、「うしべ亭」と「Jacasse」の店がある。

今回は、この店での月次会議の為岡山に行き、少し余裕の時間がありましたので、始めて「日本三名庭園」の一つ、後楽園に行ってみました。

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そこで、こんな光景を観ました。

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「花無心に招く」と云う言葉が、正にピッタリでした。

一番綺麗に咲いている花に、一番沢山人が集まっていました。


次は、園内の高台から観た風景です。

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昔は、ビルなど有りませんから、殿様はどんな気持ちでこの景色を観たのでしょうか。


次に、今回から始める「フォト俳句」の第一弾です。

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「春の香を 後楽園の鳩と観る」

お楽しみ頂ければ幸いです。

2006年03月21日

羽田からの富士山

飛行機の中では、安定飛行に入る迄は、デジカメやコンピューター等、電波を発するものは、点けてはいけない。

と云うことでライカを持参して、羽田を離陸中の飛行機の窓から、富士山を撮った。

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丁度この日は、前日の前線が通過後で、風が可成り強い日だった。

撮って出来上がって来た写真を観て、改めて「富士山は以外に近い。」と感じたことだ。

昔は日本橋からも、こんな富士山が見えたのだろうか?

人類は、進歩と言う名の退化をしているのではないかと、感じることが時々ある。
その典型が、鍵を掛けずに外出できると云うことだ。
今でも沖縄諸島では、そんなことは当たり前だ。
文明は進んで、どんどん便利になっていくのに、心の便利は段々少なくなっているのではないか。

こんなことを考えるのは、僕だけだろうか。

2006年03月20日

☆空からの富士山☆

Jacasse高岡店の月次会議の為、飛行機で羽田から富山空港経由で、高岡に行きました。

高岡に行く楽しみは、何と云っても富士山の写真を上空から撮れることです。

と云うことで、今回撮った写真をご覧下さい。

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今回は、冬なので雪景色だったが、普段の富士山はこんなです。

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離陸して直ぐにはデジカメが使えないので、ライカでも撮りました。

それは明日アップします。

2006年03月16日

汪成さんのこと

この写真は06年2月に撮ったものだが、彼女が高校1年生の時に知り合ったのだから、もう9年近いお付き合いと云うことになる。

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僕が池袋の要町に事務所を引っ越して来て、近くに在った「山東菜館」と云う中華料理店のお嬢さんで知り合ったのだった。
お母さんは、揚琴(やんちんと呼びます)の名手で、今では「女子十二楽坊」の恵比寿校の先生もしています。

一時期は、お医者様になる目的を持って勉強していた時期もあったが、矢張り蛙の子は何とやらで、上海の音楽学校に留学して、元々の才能を急激に開花させた。

全国各地でコンサートをしているが、1月17日(火)放映のTBSの「学校へ行こうMAX」と云う番組では、V6のメンバーの岡田准一君に、お母さんと交代で揚琴を教えて、何と岡田君は女子十二楽坊と協演して、「涙そうそう」を立派に演奏してみせた。
先生として、あれだけの短期間でよく完成出来たのものだと、教育者としての能力にも、感心してしまった。

今では昭和音楽芸術学院で、二胡の講師を務めている程だ。


扨その彼女が、自分が中心になって始めてのコンサートが開かれます。

そのパンフレットがこれです。

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彼女の写真が違っていますが、これは余りに似てな過ぎるので、小生の独断で現実に近いものに代えてあります。
今回は、中国音楽だけでなく、日本の曲や西欧の曲も演奏すると云う。
中国からわざわざ、叔父さんで、有名な音楽家の成海華氏まで駆け付けて、協演して下さるとのこと。
どんな演奏会になるのか、今から楽しみだ。

興味を持たれた方は、一緒に聴きに行きませんか!?

と云うことで、汪成さんのホームページアドレスです。

http://erhu11.exblog.jp/

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女子十二楽坊全員と、一緒に写っている写真もありますよ。

http://erhu11.exblog.jp/m2005-12-01

の下から2番目です。


2006年03月15日

『常々心に思うこと・・・・友へのメッセージ』

昨日は、御殿場のプレミアム・アウトレットに行って来た。

その往路で、小田急の中からの写真です。

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そのアウトレットにある、ジャカッセの月次会議に出席の為でした。


扨今日は、1991年に書いた文を載せたいと思います。
これは当時会員だった「心話會」の月報9月号に掲載されたものです。

『常々心に思うこと・・・・友へのメッセージ』

「楽しくなければ、人生じゃない! 明るくなければ、会社じゃない!」をモットーに毎日を過ごしているつもりですが、それだけではなく、矢張り日々様々なことを考え、悩みます。
そんな時、ピッタリの言葉や名言に巡り会うと、ホッとすることがあります。

「ああ、先人もこんな事を考えていたのか。こんな風に解決したのか。」等々、どれだけ助けられたか、判りません。
そんな言葉を白い本に書き込んだのが、10年の間に、4冊になりました。

今回原稿のご依頼があったとき、見直してみる良い機会だと思い、改めてページを繰ってみました。
その中から、心話會の仲間の顔を思い出しながら、次のような言葉を書いてみました。

ご笑覧下さい。

題目は、あいうえお順

☆英雄  英雄とは、自分の出来ることをした人だ。
     処が凡人は、その出来ることもしないで、出来もしないことを望んでばかりいる。  ロワン

☆エロティシズム  「ようはここ(頭)の問題。 エロティシズムとは、教養だよ。」 モリー・モロワ(パリのクレージー・ホースの専属振り付け師)

☆女   女が愚かであることを私は否定しない。
     全能なる神は、男にピッタリ合うものとして女を創り給うたのだ。 ジョージ・エリオット

☆体  災いは口より出で、病は口より入る。 中山恒明

☆書くこと   記録に勝る、記憶なし。

☆企業  人生や企業を哲学的に言い尽くすことは出来ない。 これらは音楽の様なものだ。 スプランガー

☆苦労  火の車 造る大工は無けれども 己が造りて 己が乗り往く  奥田行朗 猊下

☆経営  財を為すは下、事業を為すは中、人を創るは上。      

☆心   憂さも 辛さも 腹立たしさも 心一つのおきどころ

☆子育て  かわいくば 五つ教えて三つ褒め 二つ叱って良き人にせよ 

☆ゴルフ  ゴルフコースは、女に似ている。
      諸君の扱い方によっては楽しくもあり、手に負えないこともある。 トミー・アーマー

☆酒    酒に量なし。 乱に及ばず。  孔子

☆仕事   どれだけ働くかではなく、どれだけ効率的に、能率的に働くかが仕事だ。 ウォルノフ

☆人生  裏も見せ、表も見せて 散る桜 (紅葉の場合もあり)

☆成功  成功は、全ての人間の悪しき性質を誘い出す。 ヒルティ

☆旅   旅するお陰で我々は確かめることが出来る。
     たとえ各民族に国境があろうとも、人間の愚行には国境がないことを。 プレヴォ

☆妻   妻、二種類しかない。 譲歩する妻と、譲歩させる妻とである。 ベクー

☆友   天に口なし。 人をして云わしむ。

如何でしょうか!? 
賢明なる友人各位であることは、百も承知ではありますが、些かなりともご参考になれれば、幸いでございます。

では最後に「私」について・・・・。
私の願う自身の人生とは、『好きなことを好きなようにやり、それがまた人の役に立っていくことだ。』
感謝合掌!!


と云うことで今読んでも、とても15年前のものとは思えない程、真理を突いた言葉ばかりで、驚かされました。

では写真の第2弾です。

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プレミアム・アウトレットに、是非行ってみて下さい。

こんな富士山にも、会えますよ!!

2006年03月09日

☆勘違い

「赤い靴」と云う歌がある。

この一番の歌詞の最後に、「異人さんに連れられて、行っちゃった。」と云う部分がある。
この異人さんの処を「良い爺さん」とか「曾(ひい)爺さん」と長年思っていたと聞いて、びっくりしたことがある。

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★明治大学の天井・これはドームの天井ですが、写真だと平らに見えます。

僕の場合は、童謡「赤とんぼ」の「負われて見たのは…」が「追われてみたのは…」と思い、とんぼを追いかけることだと思っていた。

また友人の場合には、巨人の星のテーマ曲で、「思い込んだら」を「重いコンダラ」と思っていて、「コンダラ」ってどんな物だろうと思っていたとか、この手の勘違いしたままの記憶について上げれば、枚挙に暇がない位あると思われる。

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★サインがないと、上・下が解らない写真

そんなに悩むのなら、さっさと他人に訊けば良いのにと想う様なことでも、人は訊かないまま、案外思い違いをしたまま、過ごしていくものだ。

文章だと、典型的なのは、「ぎなた読み」と云うやつだ。

この源は、「弁慶がなぎなたを持って…」と云う処に、句点を忘れた為に、
「弁慶がな、ぎなたを持って…」と読まれたことに由来している。

この「ぎなた読み」から、意外な言葉が生まれている。

花魁(おいらん)だ。

これは江戸時代の始め頃、禿(かむろ〜吉原等で働く10歳前後の女の子のこと)達が、自分の仕えている女性のことを、「おいらんちの姉さん」と呼んだことから、「おいらん、ちの姉さん」で花魁になったのだと云う。 
文字は、後から宛てたものらしい。

因みに「禿〜かむろ」と云う字は、他に、「はげ」「ちび」とも読む、実に不思議な文字なのだ。

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★銀座の街の片隅で見付けた、足は撮っている僕のだ。

と云うことで、「訊くは一時の恥。訊かぬは一生の恥。」の言葉を、以って銘すべしである。

2006年03月08日

☆感覚の相違

現在のピアノの型になる前は、チェンバロが主体で、その後1600年頃から「クラヴィコード」が生まれた。

しかしこれらの鍵盤楽器は、弦をつめでひっかいて音を出す仕組みの為、鍵盤を強く弾いても、弱く弾いても、出る音は同じであった。

18世紀の初頭、イタリアのバルトロメオ・クリストフォリが、この二つの楽器に強弱をつけて弾ける様に造った「クラヴィ・チェンバロ ピアノ(弱く)エ(と)フォルテ(強く)」が、いつしかピアノと呼ばれるようになったのだ。

バッハやモーツァルトが、子供の頃から神童と呼ばれていたが、それはチェンバロなので軽く弾けたからだったとも云われている。

そのピアノで弾く数ある曲の中でも、ピアノでなければこの味は出せないと云う名曲がある。

作者不明と言う説と、ドイツの作曲家:フェルディナンド・ローが作ったと云う説があるが、事実は定かではない。

原題は「ノミのワルツ」と云い、ドイツ・ベルギー・オーストリアでは同じ題名だ。

しかしこの曲は、次の様に国によって題名が異なる。

オランダでは、「のみのマーチ」、デンマークでは、「侯爵夫人」

ロシアでは「犬のポルカ」、スペインでは「チョコレート」

キューバでは「あひるの子たち」、アルゼンチンでは「追い出しポルカ」

スウェーデンでは「ブタの子たち」、フランスでは「カツレツ」

スイスでは「カツレツ・ワルツ」、イギリスでは「はし(箸)」と唱されている。

〈さて・・・この曲の日本の題名が、解りますか?〉

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正解をお教えする前に、もうひとつ。

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正面から見るのと、横から見るのでは、まるで立体感が違う写真


最近よく書くこのマーク「@」。

アット・マークだが、これも国によって言い方が違う。

イギリスでは、「at sign」。 インドでは、「at」。お隣韓国では、「巻き貝」

イタリアでは「カタツムリ」、オランダでは「猿の尾」、フィンランドでは「猫の鳴き声」。

イスラエルでは「ロールケーキ」、チェコでは、「にしんの酢漬」だと云う。

と云うことで、正解は「ねこふんじゃった」だ。

同じ曲でありながら、国によってこれだけ題名が違うというのも、実に奇妙なことだ。

言葉が違う様に、曲を聞いてそのイメージを考えた時に、まるで違った題名が出て来るというのは、何だかとても不思議な気がする。

これは外国人と日本人の場合の例として書いているが、実は日本人同志でも、人間同志である以上、大きくあるいは微妙に感覚がずれているなと感じることが多々ある。

その時にでも「ノミのワルツ」や「猫踏んじゃった」と云う様に、ユーモアで解釈して、争い事にならない様に、それぞれの考え方を認め合える様にしたいものだ。

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写真は、2月22日に撮ったソニービルの立体画像。

2006年03月07日

☆大雪

僕が大雪を体験したのは、昭和39(1964)年、新潟県長岡に住んでいた時のことだ。

我が家は新築の家で、長岡にしては可成り高さのある家だった。

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前年長岡第二女子高校が我が家の後方に移転して来た為、我が家の前は女の子達の通学路になってしまっていた。
毎日何百人もの女子校生とすれ違うのは、うれしい様な、恥ずかしい様な、複雑な気持ちの朝・夕であった。

しかしこの雪の時は、女子高生の歩く道路の位置が、我が家の二階の窓から観ると、丁度目が合う高さであった。

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僕の右足が通路にあり、左足が一階の屋根にあるのが解りますか?
上の白黒写真の左の一階の屋根のことですから、如何に雪が積もったか・・・です。

そして次が、

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玄関へ、道路からの階段が出来ています。
冬になると、玄関に直接雪が吹き込まない様に、玄関の前に囲いが出来ています。

電柱と電柱との間に垂れ下がった電線を跨いで歩いたり、12月31日の紅白歌合戦の時に、屋根の雪下ろしをしたのが、今では懐かしい想い出だ。

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長岡での5年間に、豪雪・大水、そして地震を経験した。

2006年03月06日

聞き手の粗相は、言い手の粗相

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今朝、家内と少し言い争いになった。
昨晩話した内容について、僕の意図通りの手配を、彼女がしていなかったからだ。

しかし僕は5年位前から、「チャント聞かない方が悪いのではなく、言う方が、キチンと聞き手が理解したかどうか確認出来るまで説明するべきなのだ。」と解釈する様にしている。

それ以来、行き違いが大分少なくなった。
万一相手が勘違いしていても、こちらがチャント説明していないのだから、腹が立たない・・・はずだ。
と云うことで、今朝の行き違いは、何とか喧嘩にならずに済んだ。

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今日は、トリノ・オリンピックで荒川静香の金メダル以来の期待で待っていた、「ハウルの動く城」がアカデミー賞を逃してしまった。

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と云うことで、2年前に撮った写真です。

2006年03月05日

皇女・和宮


昨日3月4日(土)の「世界不思議発見」では、とても心打たれる話しと詩がありましたので、ご披露致します。

江戸から明治に代わる頃のことでございます。

当時の孝明天皇の妹・和宮は、許嫁・熾仁親王との仲を引き裂かれ、当時の14代将軍・徳川家茂( いえもち)と無理矢理結婚させられます。

天皇も和宮の気持ちを察して断りますが、徳川家からのたっての依頼が再三に亘ってあり、不承不承に承諾したのです。

その時に和宮は、こんな詩を詠んでいます。


「落ちていく 身と知りながら 紅葉(もみじは)の  人懐かしく こがれこそすれ」


この詩でもお解りの様に、京都から江戸に行くのが、余程嫌だったでしょうね。

その気持ちを察して孝明天皇は、江戸時代最大の行列の云われる、2万5千人を連ねる花嫁道中の行列で、妹を江戸に嫁がせます。

徳川幕府も迎える側として、警護・警備などで、約20万人が携わったと云われています。

家茂・和宮共に、16歳でありました。

しかし将軍・家茂は、和宮が生まれる前に父・仁孝天皇を亡くしていた境遇が、自分も同じであることから、実に優しく接し、ことある度に贈り物をしていくうちに、いつしか和宮の心は、どんどん家茂に惹かれていくようになりました。


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そんな頃、家茂は京都へ戦に出向くことになりました。(第二次・長伐戦争)

家茂は、京の土産に何が良いかと尋ねますが、和宮は何にもいらないから、ご無事のお帰りを・・・と答えます。

しかし和宮の意思に反して、家茂は亡骸となって帰還します。

その時、約束した京都の素晴らしい織物が、和宮の元に届けられました。


「家蝉(うつせみ)の唐織衣(からおりころも) なにかせむ

                         綾も錦も 君ありてこそ」    皇女和宮 作


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この詩を詠めば、どれだけ和宮が家茂を愛していたかが、理解出来ます。

「君ありてこそ」・・・こんなことを云って貰える家茂は、夭折(ようせつ)の人生ではありましたが、どれだけ幸せだったことでしょうか。

近年我々団塊世代の様に長生きして、夫婦で会話の無い様な人生を過ごすよりも、どれだけ良かったことでしょう。


江戸から明治に代わる激変の時に、時代の波に翻弄され乍らも純愛を貫いた二人の気持ちに、最近殊に涙腺の弱くなった小生は、思わず涙してしまいました。

何せ家茂は、13歳で一人で和歌山から出て来て将軍になり、亡くなったのは21歳の時ですから、若いながらも家茂の懐の大きさに、大変感心したのです。

後日談があり、官軍が江戸城侵攻の為に向かっていた時、和宮のたっての願いで、江戸の直前でその進軍を止めることが出来ました。

そしてあの有名な、勝海舟と西郷南州との会談が設けられ、江戸が無血開城されたのです。

このことで、徳川の名と血筋は残りました。

江戸侵攻の総帥が、図らずも昔の許嫁・熾仁親王であったことも、幸いしたのかも知れません。

結局和宮は形を変えて、家茂の想いに応えたのだと、僕は解釈しました。


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因みに和宮は32歳で亡くなっていますが、自分の死後、慣習に拘わらず家茂のお墓の隣りに埋葬して欲しいと依頼し、その望は叶えられました。

現在「芝増上寺」にお二人のお墓はありますが、残念乍ら一般には公開されていない様です。

2006年03月03日

雛祭り


「梅一輪 いちりんほどの 暖かさ」  服部嵐雪

3月3日は、娘の誕生日です。
彼女が産まれてから、もう30年以上も経つのかと思うと、感慨無量になります。

処で、お雛様の「へぇ!?」から・・・。

昔の人達は、紙や土などで人形を作り、自分の病・災い・災難を移し、自分の身代わりとして、川や海に流していた。
これが雛即ち、人間の雛形〜模型である。
それが平安時代になると、「御人形(ひいな)遊び」として、宮中でたしなまれる様になったものだ。

そしてお雛様は、お内裏様とお姫様。
そして三人官女に五人囃子位迄は、大抵の人が知っている。

処が三人官女は、右が10代の女性で、左が20代、そして中央が30代でお歯黒をしているのが、正式なのだそうな。
これは単に官女の姿を現しているだけでなく、お姫様の行く末を暗示しているのだ。
そして五人囃子も正式には、随身(ずいしん)と云う名前の警護を司る者達と、仕丁(してい)と云って、雑用を執り行う者達なのだそうだ。

と云うことで、現在の我が家のお雛様です。

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富山空港で買い求めました。

2006年03月02日

石田純一君とのこと

彼とは、僕が国際電話のコール・バックシステムを開発したことから知り合い、彼が回線の販売を、僕らが回線の管理をすると云うことで、契約した仲だ。

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この写真は、彼に依頼して、グルナビの会社のインタビューに応えて貰った時のものだ。


この後、一緒に食事をすることになっていたのだが、彼から、今夜は行けないとの話しが出た。

理由を訊くと、明日発売の週刊誌に、彼女(長谷川理恵さん)とのことが掲載されるので、どうしても今日中に女房と話し合っておかなければ成らないとのこと。

勿論一も二もなく了解した。

その時に「お詫びとして、次回は僕持ちで、必ず食事会をするから・・・。」と約束してくれた。

おぉ〜い、石田君!!

あの時の約束は、未だ果たされていないぞぉ!!!

しかし、彼は変わらないけど、僕は随分太ったなぁ。

2006年03月01日

☆ 遂に「開運・なんでも鑑定団」放映

昨晩、ホキ徳田さんが出演した「なんでも鑑定団」が放映された。

僕達は、制作して下さった方々や、ホキちゃんのお仲間達とも集い、午後7時から呑み且つ食べながら、その時を待っていた。

レストランにはテレビがない為に、ホキちゃんが小さなハンディテレビを持ち込んだ。

そしていよいよ9時45分になり、スタート!!

スタジオで観たのとはまた違った感覚に、ワイワイ云いながらの観覧。

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しかし改めて振り返ってみると、制作担当の杉山さんと始めて会ったのが、1月25日(水)。

次に打ち合わせたのが、28日(土)。

そして撮影が31日(火)。

スタジオ撮りが、2月4日(土)と・・・僅か10日の間に、あれだけの調査をして纏め上げた力量に、改めて、感心してしまった。

特にヘンリーについては、ホキちゃんが見たこともない写真やエピソードもあり、何よりも本人がビックリしていたのに、みんなで大笑いした。

杉山さんと田淵さんに、脱帽である。

またホキちゃんのお店の撮影の時に、ピアノの側に座っていた白髪の紳士お二人に、カメラ設営の為に、席を移動して戴いた。
ホキちゃんが言うには、あの時のお二人は、今話題の日航社長の新町さんと、副社長の羽根田さんだったとのことで、一同ビックリ!!


処で鑑定団の反響は大きく、番組宣伝が効いたせいか、ホキちゃんの処には、放映前から沢山の電話が掛かってきたそうだ。

そして当日も、終わると同時に何通もの電話があった。

そこで、同じ時間帯の視聴率について聞いてみると、一番が「細木数子」で、二番目が「鑑定団」。

ロンドンハーツが3番で、時々鑑定団以上のことがあるそうだ。

お猿が「モンキッキー」に改名しても、効果は無いと番組で言っている位だし、細木数子は、ホリエモンの今年の予想が外れたことで失格してしまったと思っていたが、どっこいそうではなかった。

細木数子、恐るべし。

しかしこの人の身にも、いつか何かが起きそうな気がしてならない。

2006年3月バージョン

■基 礎(?)情 報■
 
氏 名:中 村 葵 大 (本名:守夫)  
 
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昭和23(1948)年1月30日(金曜日)生・子年 水瓶座 
同年月日誕生の方々:北原照久氏・柳ジョージ氏
 

小学5年生迄は新潟県新発田市に住み、外ケ輪小学校に通っていた。

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この写真は、祖父が丹精込めて育てた、カンナの前で。

後ろに見えるのが、通っていた外ケ輪小学校と本丸中学校の校舎。

また子供の頃には、祖父が狸や鶏を飼っていた。

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祖父と一緒に・・・後ろに見えるのが、狸と鶏の小屋。

毎朝鶏の卵を取りに行くと、鶏に突っかれるので、凄く嫌だった。

5年生の時に、新潟市に引っ越し、浜浦小学校から関屋中学に通う。

中学2年生になったばかりの5月、同県の長岡市に引っ越し、東北中学に転校。

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この橋は「長生橋」と云って、毎年8月、長岡の大花火の舞台になる処だ。

新潟県立長岡高校を昭和41年卒業。

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平井真夫君が描いた、旧長岡高等学校の全景。

中央大学入学後は、フォークソング同好会に入る。  
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あの大きくて重たいギターを持って毎日大学に通っていたのかと思うと、今ではとても考えられない。

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小学校高学年の時から大学時代迄、スキーをたしなむ。

昭和45年、大学卒業と当時に、理研ビニル工業株式会社に入社、6ケ月間の辛い工場実習の後、本社・管理部に配属された。

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ボウリング部を結成し、とても楽しい会社員時代だった。
お世話になったのは僅か1年9ケ月だったが、一社員の退社としてではなく、ボウリング部長の退社と云うことで、各部や課の役職に関係なく、過去最大数の方々が参加して送別会を催して下さったのが、僕の人生の中で、大きな勲章になった。

また当時理研ビニル工業(株)は二部上場の会社で、現在は、「リケンテクノス株式会社」と云う社名で、一部に上場している。
 

■趣味■

 1.カメラ撮影とフォト俳句

 2.ギターの弾き語り

 3.スキューバ・ダイビング

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この写真は、沖縄の西表島と石垣島の間に、マンタが通る道があり、そこでマンタを待っている処です。
流れが早くて、石に捉まっています。
右上の女性は案内の方ですが、このゆったりとした浮遊感が堪らないのです。

 4.歌舞伎鑑賞

 5.パラシュートプレーン

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これは、僕が飛んでいる処を、友人が撮ってくれたものです。
高所恐怖症の僕が、なんでこんなことが出来たのか、不思議でなりません。

 ■座右の銘■

 夢を諦めない

 ■好きな食べもの・飲みもの■

 日本蕎麦  うどん お鮨  日本茶
 
 ■好きな映画■

 ローマの休日
 
 ■好きな音楽■
 
 エルビス・プレスリーのロック・ミュージック

 スプートニクスの楽曲

 モーツァルト・ベートーベンの楽曲

 ■好きなタイプ(有名人でいうと)■

 北原照久氏~おもちゃ博物館・館長
 http://www.toysclub.co.jp/planning/kitahara.html

 ■好きな言葉■

 心の平和

 ■今まで一番嬉しかったこと■

 結婚したこと

 ■夢■

 宝くじが当たること。

 


1.株式会社 もらいおん 代表取締役  
  各種コンサルティング
  03−3955−7355

2.株式会社 シー・ツー・エス 代表取締役
  サンダーシステム販売
  03−3955−8511

3、株式会社 日本EAPセンター
  企業の役職員の心のカウンセリングを行います。
  03−3955−8688
  
4.株式会社 クリックス 相談役
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5.株式会社 絵本館  相談役
  絵本の企画・出版・販売 
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