1 : DIARY「おや・まぁ・へぇ」

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2007年12月12日

ギターに酔った夜

高校時代の同級生・・・秋元(旧姓:吉澤)延子さんとは、昨年のカウンセリング会社発足の相談があって以来、改めて仲良しにさせて貰っている。
彼女の夫である「克士(よしお)」さんは高名なコマーシャル・デザイナーですが、気取らないお人柄から、今では彼と二人だけで酒を酌み交わす仲になっている。

その克士さんが趣味で自力でギターを作っているのは知っていたが、遂に完成したとの知らせを受けて、早速観に行った。

待ち合わせ場所は、渋谷の石橋楽器。

それにしても・・・この楽器店には、何と多くのレスポールがあるのだろうか!?
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レスポールとは…ギターの高音部を弾く為に、ギターのボディーを切り込んで作ることを考案した人の名前で、ギター・メーカーのギブソン社では、神様とも崇められている人なのだ。
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そのレスポールとは…写真の様に、92年にニューヨークの「ファット・チューズデー」で演奏を聴いて、一緒に写真を撮らせて戴いた上に、サイン迄書いて貰ったこの新聞が、今では僕の宝物になっている。

扨そこで・・・克士さんが製作したギターは、僕の大好きな《ジョーン・バエズ》が使用していたものと、そっくり!!
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克士さんが作ったギターを弾く         1960年代のバエズ

しかも克士さんが奏でる調べは、昔のピーター・ポール&マリー(PPM)の曲ばかり。

僕も大学生時代に、PPMフォロアーズ(PPMの曲を歌う人達)の様なグループを作って歌っていたので、皆知っている曲ばかり。

そして何よりも…克士さんが作ったギターの音色が、素晴らしい!!

すっかり嬉しくなって、二人で渋谷の「駒形どぜう」で・・・乾杯!!  


その後克士さん馴染みの店…池尻大橋の《CHAD》に向かう。

そこで・・・プロのギタリストお二人に、克士さんのギターを弾いて貰って、値打ちを判断して貰う為だ。

20071212f05.jpg早速ケースから出して、先ず自身で弾いて、最後の確認に余念がない秋元氏。

二人は絶賛して・・・「とても2台目とは思えない出来映えで、これならプロの演奏でも使える!!」とのお墨付きを貰って、克士さん上機嫌(^o^)

そしてまことちゃんとオータじろちゃんの演奏が始まって、度肝を抜かれたw(☆o☆)w

上手い!!
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プロだから上手いのは当たり前なんだけど、それにしてもこの・・・心にじんじん響いて来る調べは、何なんだ!?

ジャズはどうしても馴染むことが出来なかったし、ブルースも何だかその延長線上の様な気がして、余り聴いてなかったが、この二人のブルースは・・・何なんだ!!

知らない曲が続いても心地よく、時々知っている曲がブルースとして歌われると盛り上がり、遂には北島三郎の「与作」がブルースとして始まった頃には、我を忘れて興奮してしまい…2時間を越える演奏後には、すっかり二人に魅せられていた。

久しぶりに・・・ギターの奏でる音楽に酔った、大変楽しい一時でありました。

2007年12月08日

ジョン・レノンのお墓

今日は、ジョン・レノンが亡くなってから、27年目に当たる。

そこで、ジョンについてのエピソードを、ご披露したいと思います。

先ず正式に云うと、ジョン・レノンのお墓はなく、住んでいたダコタ・ハウスの前の、ニューヨークのセントラル・パークの中に、世界中の国々から寄せられた木々で囲まれた、イマジンのメモリアル・サークルがあり、それが今ではお墓と認識されている。

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☆ストロベリー・フィールズと書かれた看板で、案内されている。

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☆石でサークルが作られていて、ここが事実上のお墓の様な存在になっている。 ここには、献花が絶えることがない。

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☆木々を贈呈した国々のリストが、飾られている。

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始めてダコタの中に入った時には、ドキドキもので、しかもいきなり洋子さんと朝食を一緒にすると云うことで、可成り緊張していた。

しかも5匹の猫がうろうろするので、気が散って仕方がなかった。

そんな僕に洋子さんは、「ジョンが生前好きで、良く食べていたのは、ベーグルだった。」と明かして下さり、継いで猫たちについての、こんなエピソードも話して下さった。

《今ここにいる5匹は、みんなジョンが拾ったり、買ったりして来た子達なの。

 生前ジョンが夜帰って来ると、みんなで玄関に並んで待っていたのよ。

處がジョンが亡くなって暫くしてから、ある晩玄関に、突然5匹が並んだのよ。

もうビツクリして…ジョンが帰って来たんだと思ったの。

それから時々あるんだけど、今では…ああジョンが来たんだな…と思うことにしてるの。》

正直云って、鳥肌が立つほどビックリした!!

読んで下さっている皆さんに、この驚きが伝わるかどうか解りませんが、ダコタの中にいて、あの空気の中で、あそこにジョン・レノンが…と思うと、ゾッ~とするものを禁じ得なかった。

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さてこの玄関の扉を開けると…貴方には、5匹の猫が並んで待っている姿が、想像出来ますか!?

2007年11月26日

依布(いぶ)サラサを知ってますか?

サラサと云っても、布地ではありません。

確かに、更紗から取って名前を付けた様ですが、実は人の名前なのです。

こんなに可愛い、23歳の女性です。

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彼女のデビューのきっかけは、3月におこなわれた、ソニーミュージックの新人オーディションなのだとか。

そのオーディションで彼女は、ある有名人夫妻の娘であることを隠して、ペンネームで詞を応募したのだそうです。

その作品をネットで調べた結果、有名歌手夫婦の娘だとわかったそうなのですが、それとは、関係なく実力で審査・判断した結果、契約を決めたそうです。

僕が始めて聴いた歌詞は、一貫性がない様に感じながら、何やら不思議な気持ちにさせてくれる、歌なんです。

サラサ曰く、「自分の気持ちを文字に表現するお仕事に魅了され、詞を書き始めましたが、さらに欲張る気持ちが生まれ、シンガーデビューすることになりました。今はとても新鮮な気持ちです。」とのこと。

とここ迄書いて…実は僕も今朝の「めざましテレビ」で始めて知ったのだが、フジテレビのアナウンサーの中野美奈子さんからのインタビューにも、キチンとハキハキと、とても感じ良く受け答えしていたのが、印象的だったので、ブログに取り上げました。

因みそのご両親とは…次の写真の方々です。

071126f02.jpg 井上陽水

071126f03.jpg 石川セリ

このブログを書く為に調べてみたら、陽水は「あきみ」と読むのが本名なのだと知ったが、サラサの本名は解らなかった。

この二人の遺伝子を持って彼女が、どの様に育っていくのが、楽しみだ(^o^)/

2007年11月07日

展覧会で、泣きました。

今日は午後から、美術館巡りをしました。

先ずは、西洋美術館の「ムンク展」から…。
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ムンクと云えば、何と云っても「叫び」が有名だが、左は「不安」で、右は「絶望」と云う題名の絵だ。

彼は、生と死の問題や、孤独、嫉妬、不安などを人物画に表現した画家として知られている。

以外に空いていて、気持ち良く観られた。

次が東京都美術館の…「フィラデルティア美術館展」だ。
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左がピサロの「霧の印象」で、右がモネの「アンティーブの朝」だ。

モネが印象派の中ではダントツに有名だが、ピサロの田舎の景色も、好きだなぁ~。

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左がルノワールの「ルグラン嬢の肖像」で、右がタニングの「誕生日」だ。

ルノワールのルグラン嬢の目を望遠鏡で観ると、実に細かな青色の濃淡が上手く使われていて、拡大して観ても素晴らしい出来映えだ。

ドロテア・タニングとは始めて知った名前だが、マックス・エルンストの奥さんになった人で、この自画像の題名も、エルンストが付けたそうだ。

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マックス・エルンストの写真

美男・美女カップルだった様だ。

但しこの絵画には、先ず右のドアの向こうには、ドアの重なりで永遠が表現されており、スカートの飾りには、何やら女性の体らしいものが付いている。

そして足下には、変な怪獣が「さぁ…出掛けましょう。」とでも云わんばかりにたたずんでいる、不思議な絵だ。

そして最後に…国立博物館の「大徳川展」だ。

国立博物館では、この季節だけ庭を解放しているので、先ず庭の散策をした後は、いよいよ展覧室へ。

入ると先ず、家康が使ったと云う鎧のオンパレードで、度肝を抜かれる。

その周りには、人人人!!

3つの館の中では、一番の混み具合だ。

ゆっくりと観て進んでいく内に、ありました(^o^)/

皇女和宮のお輿入れの時の、道具類が!!
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僕が昨年3月5日のブログに書きました様に、夫である将軍・家茂が、第二次・長伐戦争に出向く時に、お土産は…と聞かれると、凱旋の時には、西陣織を…とお願いしたのです。

しかし家茂は、亡骸となって帰還します。

http://www.morion.co.jp/nakamura/2006.03/

同時に、約束した京都の素晴らしい織物が、和宮の元に届けられました。

その西陣織を見て、和宮は次の句を詠います。


「家蝉(うつせみ)の唐織衣(からおりころも) なにかせむ

      綾も錦も 君ありてこそ」    皇女和宮 作

この詩を詠めば、どれだけ和宮が家茂を愛していたかが、理解出来ます。

そしてなんと、この西陣織が展示されていたのです!!
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これを見た瞬間、まるで自分が和宮になったかの様に、始めて広げて観た西陣織の美しさと、「君ありてこそ」…と呼んだ和宮の心境に想いが馳せて、計らずも涙してしまったのです。

因みに和宮はこの西陣織を袈裟に作り、「空蝉の袈裟」として、「芝増上寺」に奉納して、家茂の追善法要に用いたそうです。

期間は12月2日迄ですので、機会がありましたら是非お出掛け下さい。

2007年11月01日

とうとう年が明けちゃったw(゜o゜)w


皆さんは、「時差券」と云う、地下鉄のチケットをご存知ですか?

これは、平日の10時~16時の間だけ乗車出来るチケットで、160円のチケットを1,600円分購入すると、12枚出てくるので、即ち20%値引きされるチケットなのです。

使用可能期間は、購入日から3ヶ月。

ある日このチケットを購入したら、何と新年の日付のが出てきたw(゜o゜)w
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この瞬間、「あぁ~年が明けるのかぁ…!?」と感じてしまった。

しかし僕はこの前に一度、もう来年の話かぁ…と感じる瞬間がある。

それは、毎年差し上げているカレンダーの部数とイラストの催促がある時だ。

毎年6月中にそれが来ると、もう半年過ぎたんだなぁと感じるのです。

處で…こんなチケットも持ってます。
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これは10が3つ並んだので、記念にとってあるのです。

更に、こんなチケットもあります。
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これは僕の誕生日の記念にと、購入しておいたものだ。

このチケットも、世に生まれてから、20年になる。

そして僕は、歳が明けると間もなく《還暦》を迎える。

うわぁ~年の流れって、本当に速いなぁw(☆o☆)w

2007年10月13日

太地喜和子さんのこと

今日は、1992年に亡くなった、太地さんの命日なので、彼女との想い出を書きたいと思います。

彼女と知り合った年月日は定かではないが、20年程前に、友人の名歯科医・市川信一君に紹介されたのがキッカケだった。

その日市川君の友人達で、太地さんのお芝居を観て、その後赤坂の料亭で食事をしながら、太地さんの到着を待っていた。

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1時間程遅れて来た太地さんがいきなり言ったのは、「先生!! いつもの!!」と云って、新赤坂クリニック院長の松木康夫先生に胸をぐっと突き出したのだ。

すると松木先生は、どれどれとばかりに太地さんの右のオッパイを直に揉みし抱いて「大丈夫!!」と云い、次に左の胸を揉んで「心配ない!!」と云った。

そこで太地さんが「あぁ良かった!!」と一言。

これは太地さんと松木先生のいつもの乳ガンの触診検査だったのだが、いきなり堂々と胸を差し出す姿を見せられて、彼女の持つオーラと云うか、今ではすっかりなくなり、江戸時代にはあったであろう…婀娜(あだ)っぽさや艶(つや)っぽさに加えた、色っぽさと気っぷの良さを感じて、あっと云う間にファンになってしまった。

その席上で僕は太地さんに「太地さんは日本酒がお好きな様ですが、数ある日本酒の中で一番好きな銘柄は、何ですか?」と訪ねた處、即座に『雪中梅よ!!』との応えw(゜o゜)w

「何故ですか?」と僕…すると『日本酒はね、吟醸酒は美味くて当たり前なのよ!!矢張り、お米全体を使って出来たお酒じゃないと、本当の日本酒じゃないと思うの!!』との話に、すこぶる納得して、「太地さんは、雪中梅が手に入るのですか?」と訊くと、『それがねぇ…入手が難しいのよ!!』とのこと。

「僕は結構手に入るんですよ。」と云うと『あらっ、羨ましいわねぇ…でもそれって、下さるってこと!?』「いえ…今度入手したら送ります!!」『駄目よ!! 送ったんじゃ…会えないじゃない!! だったらお芝居の度に持って来て、楽屋に廻って顔を見せてよ!!』 と云う嬉しい会話に快諾して以来、太地さんとの交際が始まったのでした。

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それからお芝居の度にチケットを送って下さり、そうすると僕は、そのお芝居が始まる前迄に雪中梅を入手しては、せっせと太地さんの楽屋に通いました。

楽屋の暖簾(のれん)を開けた時に、ニッコリ笑って迎えて下さる太地さんの笑顔が、忘れられません。

その後何度も友人達と太地さんを囲んでの呑み会がありましたが、僕はいつも太地さんの魔の手から逃れることにしてました。

と云うのも、当時の太地さんは恋人と別れたばかりの頃だった様で、呑み会の後は必ず何人かの友人達を引き連れてご自宅に行き、朝迄呑むのが恒例だったからです。

翌朝友人達に訊くと、本当に太地さんはお酒に強くて、男共がみんなダウンしていても、悠然と呑んでおられたそうです。

そんな1992年の10月の初旬に、市川歯科医院に行った時に院長から、「太地さんが、守ちゃんは直ぐに逃げるから、今度は僕((市川歯科医)と3人だけで呑もう!!って云ってたよ。」とのメッセージを受けたので、「来週からニューヨークに行くので、帰って来たら呑みましょうと伝えておいて!!」と話した。

そして太地さんの死を知ったのは、そのニューヨークでだった。


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文学座の名優で、杉村春子さんの後継者と見なされていただけに、演技の上手さは勿論だけれど、寅さんの様な映画の中でも、コミカルな役も素敵にこなせる名優だった。

最後に太地さんから教えて貰った、盃で日本酒を呑む時の姿勢をお教えしましょう。

盃は出来るだけ平たいものを選んで、そうすると自然に肘が上がるので、実に格好良く見えるのだとのこと。

実は太地さんがその姿で呑んでいる写真があるのですが、探してあったらお知らせしてアップしますので、ご覧下さい。

それまでは、この嬉しそうな小生のバカ面でもご覧下さい。
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尚太地さんの芸名の苗字は、和歌山県東牟婁郡太地町の出身から、付けられたと聴いています。

ご冥福をお祈り申し上げます<(_ _)>合掌

2007年09月07日

念願の人に会えました\(*^▽^*)/

横浜美術館見学の後、長年の友人であるエバリン・コーベット嬢と一緒に、横浜のクリフサイドで開催された「ザ・ダンパ」に行って来た。
因みに昔ダンス・パーティーのことを、「ダンパ」と云ったのです。

1960年代の音楽が始まると、参加者は1曲目からノリノリだ。

演奏も、ワイルドワンズの鳥塚繁樹さん
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ヴィレッジ・シンガーズの小松久さん
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そしてゲストシンガーに、ブロードサイドフォーの黒澤久雄氏
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と、実に豪華なメンバーが揃っての演奏だった。

そして特別ゲストが、おもちゃ博物館館長で有名な《北原照久氏》であった。
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この人が僕にとって表題の、念願の人だったのだ!!
http://www.morion.co.jp/nakamura/4_profile/


何故なら彼は、僕と誕生日が全っく同じだからだ。
と云うことは・・・生年月日を書く時には、必ず同じことを書いてきたのだから、これは大変な偶然と云うか、巡り合わせなんですよ!!


彼が出演してからは盛り上がる一方で、お客様の内には、安藤和津さんの姿もあった。(舞台右の女性)
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最後の方で「ロコモーション」が始まると、見知らぬ人達が皆前の人の肩に手を置いて、昔のリズムを刻む。

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驚いたねぇ・・昔の青年とお嬢さん達のパワーには!!

参加者の大部分の方が、60歳前後の人達だっただけに、この年代のパワーを、定年と云う一括り(ひとくくり)で退職させてしまうのは、いかにも勿体ない気がした。

そして待望の・・・ご対面!!
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これを機会に、彼と友達になれれば良いなぁと願っている處であります。
何故なら僕が、「130の会」(1月30日生まれの人達の会)を、勝手に作っているからだ。
今までエバリン嬢と楠本さんと上原先生と皆川さんに松橋君と小生の6名だったものが、これで7名になったのです。

後は、歌手の柳ジョージ氏(レイニー・ウッズ)と知り合いになれるのを目指していますので、どなたか柳さんのお知り合いがおられましたら、是非僕にご紹介下さい。
柳さんもまた、生年月日が僕と同じなのです!!

「森村泰正昌-美の教室,静聴せよ」展

横浜美術館に行って、森村泰昌氏の展覧会を観て来た。

この人は変わった人で、昔の有名な絵画の中に、自分を入れた写真を撮っている。

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これは、ゴヤの愛人であったアルバ侯爵夫人を描いたもので、
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本物は指を指した地面に、「SOLO GOYA」と描かれているのだが、上の写真にはそれがない。

こうして見比べると判断出来るけれど、森村さんの作品だけを知らない人が見たら、本物と見間違う程、とても良く出来ている。

その中でも優れているのは、フェルメールの作品だ。

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これは、中の婦人も画家も、全て森村氏がこの絵画を分析して、その当時の衣装を作り、机の位置関係、カーテンから後ろの背景の地図に至る迄、全て再現した作品なのだ。

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どうです・・・本物と比べても、中々の出来映えであることが解ります。

実際には、この様に作られている様です。
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最後に、モナリザです。

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左が森村氏で、右が僕のだ。
如何でしょうか!? 
気持ち悪いよね(>_<。)

2007年08月29日

『子どもは天才!』写真展を観てきた!!

先ずこの写真を観て下さい。

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これは、長田信清君(普1)の作品です。
コメントは「この写真は、学校の帰りに川崎駅で撮ったものです。現像してみたら、神秘的になってました。(笑)」です。

次は、藤本奈津実さん(小5)の作品で「バス」です。
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コメントは「バスを撮ったとき、『運転手さんも撮ろうかな』と思って撮りました。 そのできあがった写真を聞いて、『えっ!Vサインしてたの』と言いました。 さすが運転手さんだな。」です。

尚カメラは全員が、富士フィルムの「写るんデス」を使用しています。

そしてこの作品です。

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松岡優衣さん(普1)の「私の歩む路」です。
コメントは「アメリカ在住時から愛用している白杖と、日本の点字ブロックの国際コンビに感謝を込めて撮りました。」です。

ここ迄読んで気付いて頂けたと思いますが、この写真展の写真を撮ったのは、全て盲目の子ども達なのです。

音と気配だけを頼りに、良い写真を撮ろうなどとは思わず、素直に無心で撮ったから、こんなに素晴らしい作品が出来上がったのだと思います。

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今日8月30日〜9月12日迄開催してますので、是非お運び下さい。 

2007年08月11日

久しぶりに、鳥肌が立った

先ずこの写真をご覧下さい。

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チラシを観た時には合成写真かと思ったものの、兎に角このシーンに惹かれ、「アクロバティック 白鳥の湖」の内容も解らないまま、観に行ってしまった。

そうしたら、全編これでもか、これでもかと云う程のアクロバットの連続で、ビックリしてしまった。

特にこの写真については、実際にやるとしても、命綱がついて行われると思っていたら、とんでもない!!

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これは練習風景だが、深い信頼関係のご夫婦だからこそ、命綱なしでも出来るのだと知った。

お二人が練習を始めた時には、彼の肩の肉がトウシューズでえぐれて、骨が見える位になったそうだ。
そして15年の歳月を掛けて漸く肩の上で立てる様になったら、今度は頭の上に立つ努力をして、4年掛かって遂に完成したのだそうな。

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兎に角素晴らしいので、8月19日(日)迄渋谷のオーチャードホールで開催してますし、何故か空席も目立ってありましたので、是非お奨めしたいと思い、書きました。


因みに行けない方には、次のページから、動画をご覧下さい。
http://www.bunkamura.co.jp/broadband/movielist/movie_orchard.html#orchard_acrobaticswan
一番上の「アクロバティック 白鳥の湖」 2007ハイライトと、下に行って、「アクロバティック 白鳥の湖」ポスター撮影風景とを、是非観て下さい!!

来年の北京オリンピックでの中国チーム・・・恐るべしを感じた「ショウ」だった。

2007年08月10日

櫻井秀勲先生について

櫻井先生とはもう、20年からのお付き合いになる。

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清和会と云う、早朝の勉強会に始めて参加した時の講師が、櫻井先生だった。

その時のお話の中で、「仮説を立てて、将来を観る。」と云う点に強く惹かれた。

例えば、「フランスのパリは、北海道と同じ緯度にある。
 處が地球が温暖化になると、赤道に近い緯度が上がってくるのと同じ現象になるので、暑い国の料理が好まれる様になり、結果イタリア料理や東南アジア等の料理店が増えて、ロシア料理やフランス料理などの寒い国の料理店がなくなる。」…と云う話しであった。

この人の話をもっと聞いてみたいと思っていた處、終了間際に『今度「櫻井学校」を創設して、私の考え方を通して勉強したい人を集めているので、宜しかったら是非ご参加下さい。』とのお話があり、一も二もなく申し込んで以来のお付き合いになったのです。

それ以後の私は、櫻井学校では皆勤賞を毎年戴く程、熱心な生徒になりました。

そんな訳で、あちこちで先生のお話しをする機会が多くなり、どんなことがキッカケでお付き合いおする様になったのかと聞かれることが多くなったので、書かせて戴いた次第です。


尚先生のプロフィールについては、こちらのホームページをご覧下さい。

http://sakuweb.jp/profile/profile2.html

先生がお付き合いのあった多くの作家達~五味康祐・松本清張・三島由紀夫・川端康成さん達との裏話を聴いていると、時間を忘れる程です。

女学の神様と云われていて、女を口説く、女を知る等については、正に第一人者です。

76歳になられた今年、更に新規事業を開始しておられます。
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正に、小生の理想の先輩です。

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この写真は、ウーマンウェーブ発足会の時の写真です。

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何時までもお元気でご活躍される様願っている、不肖の弟子であります。

因みに、20年前に始めて聴いた時の講義内容は正鵠を得て、この20年間にイタリア料理店や東南アジアのエスニック料理店がどんどん出来、一流ホテルからは「フランス料理店」がなくなりました。

2007年08月08日

写真の撮り方

最近は、携帯にカメラが付いているので、何時でも・何処でも・誰にでも・・・簡単に写真を撮れる様になった。

しかし矢張り、携帯のカメラよりもデジカメの方が、ずっと良く撮れる。

そこで記念写真ではなく、チョット芸術的に撮れる方法を、お教えしましょう。

先ず、ある日の銀座の風景です。
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どうと云うことのない、日曜日の歩行者天国の写真です。


しかし、次の写真を覧て下さい。
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全く同じ被写体を、反対側から逆光で撮った写真です。

この方がずっ〜と、迫力と芸術性が増すでしょう。


そしてこれです。
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これは単純に、夕日を逆光で撮っただけの写真です。


しかしこの写真に、人が入るとこの様に変わります。
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何やら悲しげな、儚げな・・まるで人生の黄昏を感じながら歩いている様に、見えたりしませんか?
人が入ることにより、写真の中に物語が生まれました。
しかもその物語は、観た人それぞれが想う物語ですから、無数になります。

これは全く偶然撮れた作品ですが、僕の生涯の中でも、傑作写真の一枚になりました。

出来れば、右下の外国人の方が、もう半歩後ろで、尚かつ一歩分左側に位置していたら、最高傑作 になったと思います。

と云うことで、毎日必ずカメラを持ち歩き、チャンスだと思ったら、逆光を恐れずにシャッターを・・・です(^o^)/

勿論携帯電話のカメラでも、OKですd=(^o^)=b

2007年07月17日

新潟県中越地震について

昨日の朝、10時13分に、大規模な地震があった。

東京でも可成り揺れたので、東海沖辺りが震源地ではと思っていたら、新潟とのこと!!

直ぐにテレビで観ると、なんと一昨日通った辺りが、大変なことになっている。

直ぐさま椎谷の華蔵院さんに電話してみたが、「大変混み合っておりますので、暫く経ってからお掛け直し下さい。」とのこと。

(詳細については、昨日のブログをご覧下さい。)

しからば伝言ダイヤルを・・・掛けたが、同じアナウンス。

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左上の切り抜きは、今朝の日経新聞の地図だが、それを実際の地図に当てはめて診ると、僕が地図上の海面に×印を書き入れた辺りが震源地になる。
と云うことは、☆印の帯を一番長く書き入れた、「椎谷」沖が震源地と云うことではないかw(☆o☆)w

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しかも右上の鉄塔が光っている處が、柏崎原発だから、目と鼻の先に当たる椎谷の辺りは、どれ程大変なのだろう推察出来る。

しかもメールしても返信がない處をみると、未だ通じていないのだろう。


同行した友人達の家のある長岡と見附は大丈夫だと解ったが、N君は地震発生と同時に長岡から直ぐに、自分が校長をしている三条の小学校に行き、先生方と協力して父兄に連絡を取り、生徒達全員の安全を確認していたことに、驚かされた。

こんなに立派で行動力のある先生を、定年と云うだけで辞めさせてしまうのは、いかにも勿体ない!!

業績を上げた先生に対しては、その後顧問の様になって貰って、より良い学校環境を作れないものだろうか。


處で僕も、昭和36年に新潟から長岡に引っ越して、翌年には、「大水」。

そして昭和38年には、「大雪」、39年には、大地震と、一通り天災の経験はあり、学校から全員一斉帰宅させられて戻ったら、家の中がグチャグチャに成っていたのを、今でも鮮明に想い出す。

被災された方々が、一刻も早く自宅に戻れることを願って止まない。


☆漸く今、連絡が取れました・・・17日午後4時のことです!!

先ず、建物はなんともないのに、家の中がグチャグチャになったそうです。

外のお地蔵様もお墓も、倒れたそうです。

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敷石の處には亀裂が入って、本堂の中は位牌が全部倒れて、下へ重なる様に落ちてしまい、飾りの蓮華も全て倒れたそうです。

ご住職は市役所の職員ですが、その時間にはゴルフに行っており、急遽帰宅して直ぐに市役所に行って、昨晩は帰らなかったそうです。
奥さんは柏崎にいて、大変な思いと時間を掛けて、何とか車で戻られた様です。
お孫さんの高校は、既に今週一杯お休みの連絡があったそうです。

また心配していた観音堂は、やはり本堂の中はグチャグチャで、何処から手を着けて良いか、解らない状態で、しかも宝物殿は、白壁が剥がれて仕舞ったとのことw(゜o゜)w

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そんな中、津波が来るとの放送に、村の人達が何人も高台にあるお寺に来て、解除が出る迄いたそうです。

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しかも水が出ないとのことで、お寺にある飲料水を差し上げたりして、大変だった様です。

兎に角1時間の内に、2度も3度もきつい余震が来るので、その度に驚いて、生きた心地がしないとのこと。

取りあえず皆さんの身体だけは無事だったとのお話に、漸くホッと出来た處です。

しかしご住職は、昨晩寝てない様だけれど、身体を壊さなければと願っております。

2007年07月16日

想い出探しの旅

今年の4月のブログで、柏崎の椎谷に行ってみたいと書いたが、実際にそれが叶って、14日~15日と、柏崎市椎谷と長岡に行って来た。

http://www.morion.co.jp/nakamura/2007/04/

お世話に成った華蔵院さんでは、お母さんは81歳になられたが大変お元気で、記憶もハッキリとしておられたのと、前の住職がお亡くなりになって、当時中学3年生だったご長男が跡を継いで住職になり、立派にやっておられて、安心した。

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お寺も増築して、立派な本堂と位牌堂が出来て、庫裏(くり)も新しくなっていた。

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しかしお寺から見える景色は、40年前と殆ど変わっていなかった。
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特に観音堂を望む景色は、全く変わってなく、とても懐かしい気持ちにさせられた。

但し昔の彼女の家がなくなり、皆さんは新潟に引っ越されて、消息は解らないとのことだった。


名残は尽きぬまま、観音堂に向かった。

こちらは、一切の増改築をしてなく、全く昔のままの姿だった。
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但し嬉しいことに、柏崎市から「文化財の指定」を受けていた。
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そして眺める景色の中に、柏崎原子力発電所が出来ていたことだ。
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画面の右上の煙突が立っている所が原発だ。

「故郷」と云う童謡の3番に・・・《志(こころざし)を はたして いつの日にか 帰らん  山は青き 故郷  水は清き 故郷》と云う歌詞がある。

確かに昔と同じ様に、山は青く、水は清く澄んでいた。

残念なことに、志だけが果たせていないことに、改めて気付かされた旅であった。

2007年07月02日

著名人の写真展


今日は、国立新美術館で展示されている、モネ展の最終日だったので、六本木に行って来た。

有名な絵が沢山展示されてあり、良くこれだけモネの作品を集められたものだと、キュレーターの皆さんの努力に感心した。

「日傘の女性」も2枚あったが、僕が凄いと思ったのは、次の作品でした。

「ルエルの眺め」
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妙にリアルなのに、中の釣り人を良く観ると、本当に簡単なタッチで描かれているだけだった。
展示作品の中では一番古い、1858年の作品なので、完全な印象派になる直前に描いたものではないかと、想像して観た。

次は「積みわら、夏の終わりに、朝」だ。
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「積みわら、雪の朝」も並んで飾ってあったけど・・・
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夏の終わりにの方が、暖かみがあって、僕は好きだな!!
皆さんは、どうですか?

冬で素晴らしいのは、なんと云っても「かささぎ」だ。
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真っ白な雪景色なのに、かささぎがチャント駐まっているのが解る。

代表作の睡蓮も何枚かあったが、殆どが1900年代の作品で、目が悪くなってから描かれたものが多く、痛ましかった。


そして小雨の中、ミッドタウン・ウェストの正面にある、富士フィルム・スクウェアの「著名人60人 写真展」に向かった。
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著名な方々が、これはと云う写真を出されただけあって、玄人はだしの作品が多かったのには、ビックリした。
特に福山雅治さんの「イチロー」を撮った作品は、凄かった!!
流石に、普段から写真を撮っている人の作品だと感じた。

しかし一番素敵だと思ったのは、平泉成さんの「光」と云う作品で、沖縄ロケの時に撮られたものだった。

☆この2枚は、お見せ出来ないのが、残念です(>_<。)

そして全ての作品を見終わって、販売用の絵はがきのコーナーに行ったら、何と平泉成さんその人がいるではないですかw(☆o☆)w

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思わず・・「失礼ですが・・・。」と話しかけてしまった!!

どんなカメラで撮られたのか、お持ちのカメラはどんなのか等々を矢継ぎ早に伺ったが、嫌な顔一つせず、親切に応えて下さり、持っているカメラも出して下さったりと、短かったけれど実に楽しい一時を過ごすことが出来た。

矢張り普段からカメラを持ち歩き、気になったら直ぐに撮影すると云う習慣が大切なんだと、改めて感じた。

7月25日迄開催してますので、興味の在る方は・・是非(^o^)/

2007年06月02日

不思議な写真:その2

2006年12月26日のブログに載せた写真が、どうも解ったらしいw(☆o☆)w

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5月31日の新聞に、宣伝が載っていたからだ。

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題名が「幕末維新の暗号」と云うのだ。

と云うことで、早速購入した。

読み終えたら、報告します。

しかし遅読の小生のこと、宛にしないで待ってて下さい。

2007年05月26日

俳優祭に行ってきた


俳優祭とは耳慣れない方も多いと思います。
これは、歌舞伎・新派・新國劇の方々が、お客さまと接する祭典なんです。

僕の歌舞伎歴はもう10年なのに、始めての参加でした。
いつもと違って、歌舞伎座の横の売店で、お弁当を売っていない…困ったなぁと思いながら、歌舞伎座の中へ・・・入った瞬間から、ごった返しの大賑わい。

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一体なんでこんなに賑わっているのかも解らず、いつもの様に、イヤホンガイドを借りに…するとそこでは、黄色いチケットだけを販売している。

何がなんだか解らないでいると、後ろに並んだ年配の女性から、「今日は、このチケットでしか買い物が出来ないの。出し物は解り安いから、イヤホンガイドも要らないの。」との説明があり納得。

そこでプログラムを見ると、昼休みになると、役者さん自身が販売員になって、色んなものを販売するとある。

「海老蔵がから揚げ&フライドポテト」の担当とあり、これは大変な混雑になるだろうと予測したら、案の定。
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海老蔵の處では、写真を撮る人達が物凄く多く、買うことが出来ません。

隣では、お父さんの団十郎さんが、にぎり寿司を売っている。
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病気が治って良かったなあと思いながら、禿げ頭をじっくり堪能。

よぉしとばかりに、全売店を巡った。
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秀太郎さんと愛之助親子がドリンクを販売している。
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松緑も大声で、ドリンク販売をしていた…実に似合っていた。

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右近さんが、Tシャツの販売…この人の笑顔は、実に魅力的だ。

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春猿さんがドリンク販売~似合わない。
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勘太郎と七之助も、ドリンク販売~税金問題は、大丈夫!?

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地下の三津五郎の處に着いた時には、既におでんは完売しており、ひたすらお詫びをしていた。

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Tシャツ販売の仁左右衛門さんの売店は、海老蔵に次いで、賑わっていた。

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やっと錦之助さんの處で、おにぎりを買ったら、「襲名記念カレンダー」を下さった。

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僕は、弟がナカムラカツオと云う名前なので、小さい頃には、『錦ちゃん』とあだ名されていたことがあり、初代中村錦之助さんと幼い二代目の写真を、懐かしく見入ってしまった。

◎念の為・・・初代中村錦之助さんの弟は、中村嘉津雄(かつお)さんと云う俳優なんです。

そしておにぎりを食べてから、買い物に。

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梅玉さんは、サインと隈取り(くまどり)を売っていた。
土蜘蛛などは、1枚20万円もしたのに、ビックリ。

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中村橋之助君は、大変親しく写真を撮らせてくれた
~奥さんの三田寛子さんは、不在で残念。

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笑也さんは1階で、かぶき手帖の販売~何故かしっくり合っている。

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獅童に「おとうさん」と声を掛けられ、結局そこで、鰊の山椒漬けを買う羽目に~竹内結子との離婚問題は、進展してるの?


またこの公演では、日本俳優協会賞の授賞式も行われ、中村京蔵さんが表彰を受けた。
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彼の名前は全く知らなかったが、司会者に促されて彼が言った一言で、解った!!

「勘定奉行に…お任せあれ!!」
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残念乍ら、主演の阪東玉三郎さんだけは、出ていなかった。
彼が販売していたら、海老蔵同様大変な騒ぎになっていただろう。

そこで最後の出し物は、玉三郎主演の「白雪姫」。

童、動物、小鳥の着ぐるみを着ると云う、大変恥ずかしい格好を演ずるのは、先程販売員として紹介した、全て主役を張れる役者さんばかり。

殊に仁左右衛門さんがお猿の着ぐるみで、しかも頬に赤く○を描いていたのには、噴飯ものだった。

また『北千住観音』も、中国の「千手観音」を模して、良く出来て可笑しいものだった。

因みにヤフー・オークションで、この日のチケット代金を観ていたら、2万円の席が、5万円で売れていた。
それでも価値のあるものなのだと、行った後で理解出来た位、楽しい一時でした。

2007年05月08日

美術館巡り

今日は、美術館巡りをした。

先ず上野に行き、国立西洋美術館で「イタリア・ルネッサンスの版画」展から開始。
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いつものロダンの地獄門に迎えられて建物に入る手前で、見知らぬ方に声を掛けられ、「同行者が来れなくなったので、このチケットをどうぞ。」と云うことで、招待券を戴いた→ラッキーなスタート(*^_^*)

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この展覧会には、著名な人のものはなかったが、この版画を観て、あの画家が、あの有名な絵画を描いたのかと云う様なことが解った。

次に東京国立博物館。
ここには今、「ダヴィンチの受胎告知」が展示されているので、もの凄い人の列だった。
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この大きな木の向こう側に長い列が・・・見えませんかねぇ。

と云うことで今日はこの列を避けて、期限が明日6日迄の、黒田清輝展を観た。

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ここでは、恋い焦がれていた「湖畔」を観ることが出来たのが、収穫だった。

そして同じく東京国立博物館の中の、平成館と本館の常設展を始めて観た。
ここは、改めてじっくり時間を掛けてるべきだと判断して、ざっーと観るだけにした。


そして次に、東京藝術大学で、「洋画家たち百年の夢展」だ。
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ここでは、子供の頃にカレンダーで観ていた、藤田嗣治の「私の夢」や、梅原龍三郎の「紫禁城」等を直接観られて、とても懐かしかった。

所有者は「新潟県立近代美術館」となっていて、当時の大光相互銀行(現・大光銀行)の頭取だった『駒形十吉』氏の慧眼に、改めてつくづく感心した。

更にここには、黒田清輝の「智・感・情」を観ることが出来た。
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全く期待していなかったので、もう嬉しくて々、本当に来て良かったと思った。
この展示会だけは、6月10日迄開催してますので、時間があったら、是非行って観て下さい。


それから根津神社の「つつじ祭」に向かった。
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つつじは既に最盛期を越えていたが、人出は物凄いものだった。

そして最後に、谷中ぎんざを通って、日暮里へ・・・と云う旅程(?)でした。
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締めて30,000歩でした〜疲れましたが、楽しい一日だったので、良く眠れました。

それにしても、黒田清輝の黒田は「KOURODA」だったし、藤田嗣治の藤田は「FOUJITA」であった。
僕も今度から、英語で正確な発音になる「NAKAMRA」にしようか・・・!?

5月4日

今年の5月4日で、僕たち夫婦は、結婚満35周年を迎えた。


處でこの5月4日は、戦後政治史の中で重要な方がお二人、同じ誕生日なのだ。
笹川良一氏(1899年生)と、田中角栄氏(1918年生)である。

しかも幸いなことに僕は、お二人とは何度かお会いする機会を得ている。

先ず笹川良一会長とは、岳父(家内の父)が笹川家の企業の仕事をしていた関係でご尊顔を拝する様になり、その後数年に亘り、何度となく親しくお話する機会を得られた。
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90歳を越えられた頃から、名前を云わないと僕だと理解して貰えなくなっていき、遂に車椅子に乗っておられる姿を見ることが、とても辛かった。


一方田中角栄氏とは、父が親しくお付き合いさせて頂いていた関係で、僕が就職の時には、連帯保証人にもなって頂いた程だ→コピーを取っていなかったのが、極めて残念であった(>_<。)

しかしお付き合いとは云っても飽くまでも父を通しての関係であり、一人で直接お宅に伺ってと云うことは、皆無であった。
但しパーティーの時には、堂々と先生に近づくことが出来た。
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先生に近づいて行くと、僕のことは解らなくても先ず「おぉ良く来たな!!」と言ってあの大きな手で握手をして下さるので、すかさず「中村歐歸男(おきお)の息子でございます。」と云うと、握手している手をぐっと引っ張り、僕の耳元でささやくのだ。
「お前の親父は、用がないと来やしない!! 元気でやっているのか?」と訊かれる。
そこで僕が先生の耳元で、「お陰様で、息災でやっております。」と云うとまた僕の耳元で、「前々から、ビジネス・ホテルを観たいと思っていたので、是非案内してくれる様に、親父さんに伝えてくれ。」と依頼され、「承知しました。」と云って、握手した手が離される。

丁寧にお辞儀をして4〜5歩程離れた處で、田中先生から『おぉ〜い、中村君!!』と大きな声で呼ばれる。
振り向くと、『さっきの件、頼んだぞ!!』と、一層大きな声を掛けられる。
僕も少し大きめな声で「承知しました!!」と応える。

これが、《田中角栄の気配り》なのだ。

何故ならこの後の僕は、まるでパーティーの主役になったかの様に、色んな人から「何を話したのか?」「どういう関係なのか?」「何を頼まれたのか?」等々、様々な質問を浴びせられるからだ。

田中先生はこうなることを全て見越して、僕にわざとあの様にして下さったのだと理解している。

何故なら、これと同じ様な会話を、あちこちのパーティーで何度か繰り返し、その度毎に周りの人達が、同じ様に反応したからだ。

その度に父に報告していたのだが、父は、田中先生が本気でビジネス・ホテルを見たいとは思えないと云って、取り上げて貰えなかった。

何度目かの時に父に、「田中先生は本当に本気なので、是非ホテルに来て頂きましょう。」と強力に言って、遂に目白のお宅に伺った。

そこで始めて、田中先生が本気でビジネス・ホテルの見学したかったと解り、日程を決めたのだが、来て頂くことが叶わなかった。

先生がご病気になられたからだ。

今でも残念に思っていることの一つだ。

因みに、犬猿の仲と云われた笹川良一氏と田中角栄氏のお二人は、後年何度となく会談している。

2007年04月19日

想い出の渚

4月15日(日)に、「グループ・サウンズの貴公子たち」と云うコンサートに行って来た。

出演グループは、『ヴィレッジ・シンガーズ』『パープル・シャドウ』《ワイルド・ワンズ》と云う、1966年から70年に掛けて、大活躍したグループだ。

第一番目に登場したのが、『ヴィレッジ・シンガーズ』だ。
近年「島谷ひとみ」が唄ってヒットした、「亜麻色の髪の乙女」が代表作のグループだ。

メインボーカルの清水さんが随分太って、頭が上がっているのに茶色に染めていて、随分変わった印象だった。

二番目が、『パープルシャドウ』。
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リードギターの今井久さんのギターは、相変わらず、素晴らしかった。
ヤッパリこのグループは、「小さなスナック」を聴かなければ話にならない。
特に彼らが目指したイギリスのグループ・シャドウズの「春がいっぱい・SPRING IS NEARLY HERE」は、本物以上に素晴らしかった。

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この春がいっぱいを、こちらのホームページで聴いてみて下さい(^-^)/
http://tutitles.hp.infoseek.co.jp/music/Favorite/46.htm


そして休憩の後、最後に《ワイルドワンズ》だ。
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彼らは一旦解散したが、1981年に再結成して、今に至っているグループなので、本当に仲が良い感じである。
先年、リーダーの加瀬さんが経営している銀座のケネディハウスに行き、彼らのライヴを実際に見たこともある。


扨今回の目的は、彼らの代表作である、「想い出の渚」を、同伴してくれたY君と一緒に聴くことだったのだ。
それは、Y君と僕とは同じ時に、この歌と全っく同じ思い出を持ったからだ。


高校3年生の夏休み、僕等4人は、新潟県柏崎市の椎谷にある、『華蔵院』と云うお寺で、一夏の合宿をさせて戴いた。
毎日予定を決めて、朝は掃除・勤行の後、朝食そして勉強。
昼飯後、海水浴。
帰って勉強の後、勤行して夕食。
そしてまた勉強してから就寝という日々を、過ごしていた。
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處が数日経った頃から、人気の無い寂しい海辺に、花が咲いたかの様に、女の子達が数人、来る様になった。
自然に挨拶する様になり、話をする様になり、毎日会うのが楽しみになり、いつしかすっかり親しくなっていった。
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そして遂に、カップルが誕生したのだ。
それが、Y君と僕だった。

Y君は、今では高名な弁護士になっているので、僕のことを話します。

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彼女は、英国人のお父さんと、日本人のお母さんとの間に産まれただけあって、歌詞にあるように、「長いまつげと大きな瞳」がとても印象的な人でした。
僕にとっては始めての恋であり、彼女は新潟、僕は長岡と云う遠距離だったことで、毎日の様に手紙を書いたり、父の帰りが遅いのを幸いに長電話をしたりと・・・勉強そっちのけの生活になりました。

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幸いなことに4人とも、翌年には無事大学に入学出来て、改めて華蔵院を訪れました。

この2度に亘る夏合宿のお陰で、僕等は「般若心経」を空んじて読経出来る様になりました。

そして今年、40年振りに華蔵院を訪ねてみようと、Y君と相談している。
あの時一緒だったK君とN君も一緒だと、どんなに嬉しいことだろう。

今週末の21日、長岡高校を卒業してから、41年目の同窓会が開催される。

2007年04月01日

櫻の木

鎌倉時代の僧・西行は、「願わくば、花の下(もと)にて春死なむ その如月の望月のころ」と詠んだ。

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東池袋の公園の櫻

これは旧暦で云うと現在の3月に当たり、望月即ち陰暦の十五夜〜満月のことで、そこから推測すると、3月20日になるのだそうだ。
そして現実にその日に亡くなったと、伝えられている。

扨僕が小学生だった頃、新潟県新発田市に住んでいたが、その自宅からは、加治川と云う世界一の櫻並木が、桃色の帯の様に見えたものだ。
その櫻並木の本数は10万本で、20kmの長きに亘っていたと云われている。

そこで今日は、様々な場所で咲いている桜を、お見せしたいと思います。

先ずは、その加治川の桜並木です。
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この写真は昨年、「私の加治川コンテスト」で準大賞した、高澤 昭司さんの作品「家族の花見」を、インターネットからお借りして来ました。

次は、僕の事務所がある要町の櫻です。
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要町通り、祥雲寺の櫻

そして一昨年撮ったものを、ご覧下さい。
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上は、市ヶ谷から飯田橋方面で、下は、九段から武道館に上がる處です。
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次の櫻の木は板橋区熊野町の公園にあって、赤と白の櫻の後ろに、ピンクの櫻が写っている、珍しい櫻です。
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そして同じく板橋は帝京大学横の、石神井川の金澤橋から観た櫻です。
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そして次は、個人の自宅の櫻です。

新目白通りと山手通りの交差点にある、有名なA君宅の櫻です。
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昨年遂に、家の下に根が入り込んで家を持ち上げ始め、やむなく枝を坊主にしてしまったので、今ではこの姿は観られません。

次に、鎌倉秀雄画伯が「丸山の櫻」と題して描くほど有名な、K君宅の櫻です。
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実際には、こんな感じです。
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こちらの櫻も、道路を隔てたお隣に迄伸びてしまい、2月には可成りの枝狩りをしたそうです。

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その枝を戴いて来て、部屋の中で、観桜会を開催しました。

そして3月30日に開館した、東京ミッドタウンを望む櫻です。
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これは、国立新美術館に行く途中から見返した姿です。

最後に・・・
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いつも事務所から池袋迄歩く途中の裏通りに、一本だけひっそりと咲いている櫻です。

今ではこの花の様に一隅を照らせる様に生き、西行の様に櫻の下で死ねたらと願う、今日この頃であります。

2007年03月15日

マジソン・スクウェア・ガーデンで・・・!?

1992年10月11日は、日曜日だった。

当日僕はニューヨークにいて、午後からはダコタで小野洋子さんと、《ジョン・レノン・ミュージアム建設》について、打ち合わせをしていた。

打ち合わせが終わった時に洋子さんから、「あんた達、今夜何か予定があるの?」と訊かれ、洋子さんの弟さんのKさんが、「特にないけど・・・!!」と答えると、「エルトン・ジョンとエリザベス・テーラーが、今夜エイズ・エイドをやるらしいんだけど、行く?」と言われ、ビックリしながらも・・「良いんですか!?」と僕。
「ショーンの分もあるから、あんた達二人で行ったら!?」とのことで、喜んでその招待券を戴いた。

そして、かの有名な「マジソン・スクウェア・ガーデン」である。

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今では日本でも同様規模のイベント・ホールは沢山あるけれど、何と云っても、ニューヨークの「マジソン・スクウェア・ガーデン」である。

日本人は、数える程しかいない。

トイレに入ると、背の高さと、腰の高さを歴然と感じて、正に『お上りさん』そのものだった。

舞台右側2階の席に座り、やがてショウが始まり、主催者のエリザベス・テーラーに、協賛したエルトン・ジョン始め、有名なスターや歌手が、キラ星の如く舞台に並んだ。

歌が始まり、コントがあり、言葉は全く解らない乍らも、予期せぬ出来事だっただけに、僕はすっかり、夢見心地で楽しんでいた。

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ショウも佳境に入り、段々盛り上がって、舞台に全員が揃って、司会の二人が何かを言い出した。

するとKさんが、「やばい・・中村さん・・・やばいよ!!」と云う。

僕は何のことだかサッパリ解らないまま聴いていると、館内全体の照明が段々落ちて来て、観客の持つ光を放つ棒がキラキラと輝いている。

そして次の言葉は、英語の良く解らない僕でも、ハッキリと解った!!

「Ladies and Gentleman ・・・YOKO ONO and SEAN LENNON!! 」と同時に、館内の全てのスポット・ライトが、一斉に僕等二人の席を照らした!!

ワァ~と云う大歓声の中で、肝心な二人が見付けられないスポット・ライトが、必死になって僕等の周りを右往左往している。

あんなに大勢の人から一度に観られ、しかも沢山のスポット・ライトの中、僕は只々ビックリした顔をして、キョロキョロするのが、精一杯だった。

あんなに慌てたことは生まれて始めてで、暫くの間、心臓の鼓動が咽から出そうな位だった。


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後日このことをショーンに話したら、大笑いされた。

しかしショーンもあの頃は可愛かったのに、今では随分太ってしまった。
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彼は、父であるジョン・レノンと同じ月日生まれで、「SEAN TORO ONO LENNON」と云う本名で、今年10月9日で満32歳になる。

2007年02月04日

尊敬する先輩

昔から、節分明けが、本当の新年の開始だとする説があります。

その記念すべき新年の開始に当たり、小生が尊敬する先輩を、ご紹介致します。

武藤清次さんです。

武藤さんは以前、六本木で「アート・センター」と云うスタジオを経営しておられましたが、現在は原点であるカメラマンとして、活躍しておられます。

元々それ迄、一眼レフカメラを使っていた僕に、ライカの魅力を語り、ライカを買わせたのは、武藤さんだったのです。

また武藤さんは学生時代に、現在の天皇陛下にカメラの撮り方を講義されたり、昭和のスター達の殆どを写真に撮るなど、その歴史は実に輝かしいものでありますが、更に驚いたことに、未だに現役でモテモテな方です。

小生が目標・・・いや理想とするお歳の取り方をしておられる、先輩であります。

その武藤さんに、去年の暮れに、ライカの新型を身近に触れる機会を戴きました・・・2006年12月19日のブロクをご覧下さい。

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その時の写真が、こちらです。

その武藤さんが2004年3月に、「立川談志を撮る」と云う写真展を開催されました。

この写真展は実にユニークで、全ての写真がモノクロで、しかも談志さんと武藤さんの人間関係から、談志さんの素っ裸な姿から、おしっこをしているものなど、そこには、赤裸々な談志さんの日常の表情がありました。

開催開始日には談志さん自らゲストで来られ、小話を沢山して下さいました。

その中から、面白かった話をご紹介しましょう。


「ゴルフの夢」

一人の男が、夢の中で見事なゴルフをして、ホールインワンを出したと自慢した。
するともう一人の男が、「俺は昨夜、5〜6人の美女に囲まれて、モテモテで楽しい一夜を過ごした夢を見た。」と自慢したところ、ゴルフの夢を見た男が「どうしてオレを呼んでくれなかった!!」と怒った。
そしたら、そのモテタ男は「だってお前は、ゴルフに行っていて、連絡が取れなかったじゃないか!!」

「代議士と乞食」

一人の代議士が通りかかると、コジキから声をかけられた。
「お金を恵んでください。」すると頼まれたその代議士は「金を恵んでやってもいいが、そんな生き方をしていると、いつまで経っても、今の生活から抜け出せないぞ!!」と説教して、「自分も昔は、あんたのように困っていた時代もあったが、生き方を変えて頑張ったお陰で、今はこうやって代議士をしているんだ!!」といったら、そのコジキが「昔は、俺も代議士をしていた!!」


「象の鼻」

象が、大人の男の裸を観て一言。
「よくあんな小さいので、息が出来るなぁ!?」


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こんな小話をした後に、「俺が死んだ時にも、武藤に撮ってくれと言ってある・・・俺のデスマスクを撮るのは、武藤の仕事だ。」と言ったのが、とても印象的だった。

2007年01月01日

明けまして、おめでとうございます!!


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今年はどんな年になるでしょうか!?
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初夢代わりに皆さんを、江戸の街に御案内しましょう。

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道には、神楽が踊っています。

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上方漫才の、昔の姿も観られます。


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家の裏では、洗濯をしています。

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また長屋の裏では、子供達がチャンバラごっこをしています。

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日本橋は、人で賑わっています。

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江戸に来た記念に、浮世絵でも買いましょうか。

これらの写真は、全て「江戸東京博物館」で撮ったものです。

昨年暮れに、江戸検定3級の合格通知が届きました。
今年は2級目指して、早速問題集を購入しました。

皆さんも、一緒にやってみませんか!!

2006年12月30日

原宿に行って来た

「佐藤アキラ」さんの写真展の最終日だったので、原宿に出掛けて来た。

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今年から復活した木々に並んだライトと、新年を迎える為の日の丸の旗がはためいていた。
處が駅を降りたら直ぐの處に、沢山の女の子達が並んでいた。

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一体何処に行くのだろうと思いながら、写真展に向かった。

帰り道で、太田記念美術館の浮世絵を観ようと廻ってみたら、年末で閉館中だった。

そこでその通りを歩いていたら・・・あぁこんな所にあったのかぁ!?

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ジャニーズの販売店が、原宿のこんな細い通り沿いにあったんだぁ!?
一階と地下一階がその様で、下がっていく人、上がって来る人、矢張り凄い人気なんだなぁ・・・。

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写真を撮ってたら、撮影禁止ですと、注意されてしまった。

しかし今日のスポーツ新聞では、謹慎中だったNEWSと云うグループが、2人減って6人で再スタートをしたとあった。

今時の若い男の子達は、中学生位から、酒もタバコも女も経験してしまう。
大学入学の時の「新入生歓迎コンパ」では、必ずお酒を呑まされる。政治家も法律家も、みんなそう云う経験をして来た筈だ。

今年の最後に、酒とタバコを18歳から認める様に提言したいと思います。

皆さんも、ご一考下さい。

では、素晴らしい年をお迎え下さい。

2006年12月26日

珍しいものを戴きました

今大リーグのシアトル・マリナーズで活躍する「イチロー選手」の日記です。

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作文に書かれた以上のことをしていることに、改めて感心した。


次は、実に不思議な写真です。

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一体、何処で、誰が撮ったものなのだろうか。

明治天皇と書いてあるので、先ずそれはあり得ないと思うけれど、西郷隆盛などは、何となくその雰囲気があり、ひょっとしたらとも、思われる。

この写真の由来を知っている方がおられましたら、是非教えて下さい。

2006年12月25日

ダリ展に行って来ました

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ダリは、グニャっとした時計を描いて有名で、僕にとっては、変な絵を描く人としての認識しかなかった画家だ。

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しかし20年程前に、新宿三越で開催された「ダリ展」に行って、次の絵を観てビックリさせられた。
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この絵はとても大きく、まるでダリが実際に、磔のキリストの頭の上で写生して描いた様に思えた。

それ以来、ダリのデッサン力の素晴らしさに魅せられ、彼の絵が好きになった。

彼の奥さんガラは10歳も年上で、尚かつ先生の奥さんだった人だが、お互いに一目惚れして結婚した。

ガラはそれ程綺麗な人とは思えないのだけれど、彼女がいなかったら、ダリの人生もなかったとのこと。
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ダリは小さい時には可愛くて、長じては実にハンサムで、女性にもとても持てたと思うのだけれど、彼の絵画同様に、不可解な嗜好があるのだろう。

兎に角、年明けの1月4日迄の開催ですので、時間があったら、是非お奨めです。

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あの不可思議な絵が苦手な人は、彼の具象画を中心に観ては、如何でしょうか!? 

2006年12月19日

ライカM8登場

遂に、ライカの新型デジタルカメラ、M8が販売される。

販売開始に際し、プロカメラマンの畏友・武藤清次さんのご配慮で、一足お先に実物と対面出来た。

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前から見ると、今迄のM7の印象と、殆ど変わらない。

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しかし斜め上や真上からの景色は、可成り違っている。

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兎に角、おデブさんになったのだ!!

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M7と見比べると、よりハッキリと、その印象が解る。

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記念にと、エプソンのR-D1とM7と三台並べてみた。
その太さが、解るはずだ。

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しかし本体だけでの販売価格が、577,500には、唸ってしまった。

日本のデジカメが、どんどん安く、小さく、軽く、薄くを目指して造られているのに、高く、大きく、重く、太くになって、果たして売れるのだろうか!?

親切に見せて戴いてこんなコメントは、申し訳ないのですが、とても心配になった

2006年11月17日

ボジョレー・ヌーボーを味わう会

毎年11月16日は、ボジョレー・ヌーボーの解禁の日で、日本は世界で一番早く飲むことが出来る国なのだ。

あちこちで、0時と同時に飲む光景が、テレビで放映されていた。

芝パーク・ホテルの関連である、汐留のパークホテル東京でもその会が催され、放映された。

そして本体の芝パーク・ホテルでは、19時から開始された。

タテル・ヨシノのソムリエ・若林さんから、今宵味わうワインの製造方法が説明された。

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その後乾杯を合図に、一斉に呑みだした。

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今宵のワインは有機栽培で、しかも無農薬での製造と云うことで、幾ら呑んでも悪酔いしないとのこと。

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可成りの量を呑んだが、確かに悪酔いはしなかった。

しかし浜松町からホテルに行く間に、こんな光景を目にした。

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ボジョレー・ヌーボー解禁の日でも、そんなことには関係なく、一杯飲み屋さんは並んで待つ程の盛況さだった。

2006年11月13日

ホキ徳田さん、再びテレビに!!


12日の日曜日、朝5時15分からの「東京ウォーキングマップ」にホキ徳田さんが出演しました。

それに小生も出たのです。

正式にはエキストラですから、奥の方に、小生と解る《おでこ》が見えただけ・・・と云うのが正しいのですが。

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ホキさんと店主のベティさんとの邂逅は、感動的だった。

ホキさんは、亡くなったトニーさんと親しかったのと、そのお姉さんであるベティさんとも仲良しだったのだが、 トニーさんの死を受け入れられなかったホキさんは、どうしてもあのバーに来ることが出来なかったのだそうな。

今回の企画で、思い切ってベティさんを訪ねてみようと、決心が着いたとのこと。

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二人が抱き合って泣くのを目の当たりにして、矢張り逢って良かったのだと、つくづく感じた。


それにしても、ホキさんが昔歩いていた銀座は、僕が知っている今の銀座とは、可成り違ったものだった。

特に『トニーズ・バー』は、全く知らなかった場所だったし、そこで出された「PIMS.Number1」も始めて飲んだものだった。

何とも言えない、戦後の昭和の味がした。

2006年11月12日

上海蟹を食べた!!

昨日の会合には、佐藤佚夫君ご夫妻と小生の三人だけだった。

そこで常連客の特権で、メニューにはない上海蟹を奨められたので、早速食べてみた。

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日本の蟹と比べるとやや小さめで、紹興酒で蒸すらしい。

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慣れない人では、剥くのがなかなか難しい。

剥き終わると、美味しそうな「蟹みそ」が出てくる。

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佐藤君が車で飲めなかったので、僕一人でいつもの瓶を空けてしまい、すっかり出来上がってしまった。

處で写真に見えている蟹を剥く手は、四川苑の店主:汪さんの奥さん〜成燕絹さんの手だ。

僕らでは、なかなか巧く剥けないので、見かねて取って下さったのだ。

處で成さんは、中国楽器・揚琴の名手で、全国でコンサートを開催している。

しかも今年の1月17日の「学校へ行こう・スペシャル」では、V6の岡田准一君に揚琴を教える先生をしていた。

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成さんは同時に、女子十二楽坊の先生もしている。

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現にこの写真の練習の後岡田君は、女子十二楽坊と「なだ・そうそう」を共演して、見事に弾いて見せた。

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手を傷付けてはいけないと思い、見ていながらハラハラした。

成さん、ありがとうございました(^o^)/

2006年11月08日

酉の市

浅草は大鷲(おおとり)神社の、「酉の市」に行って来た。

その様子はまるで、江戸時代にタイムスリップしたかの様な光景だった。

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売り物の熊手には、歌舞伎役者のものがあり、昔ながらの光景に、彩りを添えていた。

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そして現代だなぁと思ったのが、次の写真だ。

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石原家の人達売約済みの熊手があったことだ。
写真の右端には、3男宏高氏の名前も見える。

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それにしても、江戸時代からの名前「三浦屋・鮒金・どぜう」など始め、沢山のお店が提灯を提供していることが、嬉しかった。

そしてこの神社から連なった屋台の列の長いこと・・・四方八方に向かって数kmに及ぶ長さで、浅草の店々もこの時とばかりに、いつもの閉店時刻を延長しての営業をしていた。

江戸文化検定試験を受けたばかりだっただけに、実際に肌で感じた江戸の夜だった。

11月16日が二の酉で、11月28日が三の酉と云う具合に繋がって、師走を迎えるのだ。

http://www.torinoichi.jp/

お時間がありましたら、是非お運び下さい。

2006年11月04日

ジョン・レノン スーパーライヴに行って来た

今年で6回目を迎えたこのイベントに、昨年から行きだした。
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それ迄行かなかったのは、ジョン・レノン ミュージアムの企画立案者として、複雑な想いがあったからだ。

参照:http://www.morion.co.jp/nakamura/2006/02/ の2月18日付けで、契約時の様子を書きました。

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しかし昨年小野洋子さんとの接触があり、洋子さんの気持ちも理解出来たので、漸く行ける様になったからだ。

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昨年はなんと言っても、忌野清四郎のイマジンの日本語版が、強烈に印象に残ったが、今年もまた、色々なアーティストが出てきて、それなりに楽しめた。

今年は、平原綾香さんを楽しみにしていたが、彼女が唄うと、全てジュピターに聞こえてしまうのは、僕が歳を取ったからだろうか。

また宮沢りえさんの朗読があったが、痩せすぎていて、痛々しかった。

昨年の小泉今日子は、小柄ながら可愛かったので、余計印象に残った。

そして平川地一丁目の弟・林直次郎君が、すっかり背が伸びて大人びていたのに、ビックリした。

しかし洋子さんは、若いなぁ!!

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今朝の日本テレビでは、前から3番目の席にいた自分の姿を、確認出来ました。

お時間がありましたら、是非ご覧下さい。

2006年11月03日

江戸文化検定試験3級を受けた

今日は40年振りに、大学の構内で試験を受けることが出来た。

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しかも高校時代から憧れていた「青山学院大学」での受験だっただけに、感激も一入だった。

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しかし受験者は、正に老若男女が沢山来ておられ、その数に驚いた。

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40年振りで入る大学構内は、時代の流れを感じるものが沢山あった。

その中でも、構内の壁に取り付けられたコンピューターで、学内の色々なことが解るシステムには、ビックリした。

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扨そこで、どんな問題が出たのか3問ご披露しますので、試してみて下さい。
答えは、最後に・・・。 

1.テレビ時代劇の主人公・銭形平次が投げた銭は、次のうちどれでしょう?

  い)寛永通宝  ろ)慶長小判  は)和同開珎  に)天保通宝

2.町奉行の中には、訴訟の当事者がお裁きをうける「お白州」と呼ばれる場所がありました。
  時代劇でもお馴染みのこの「お白州」は、なぜこのような名前で呼ばれたのでしょぅか?
  
  い)庭に、白い砂が敷かれていたから

  ろ)不衛生でシラス干しの腐ったような臭いがしたから

  は)判決を言いわたす(知らす)場所だったから

  に)事件の善悪が明白になる場所だったから

3.江戸市中で深編み笠をかぶって顔を隠し、幕政批判や世上の事件やゴシップなどを一枚の刷り物にして歩いていた人々は、何と呼ばれていたでしょうか?

  い)新聞売り  ろ)号外売り  は)ネタ売り  に)読売り


どうです?

簡単そうですが、以外に知らなかったりしませんか?

僕は来年、2級に挑戦したいと思います。

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皆さんも受験してみませんか?


處で大学の変化は未だあり、大きいトイレの半分が洋式になっていたし、教室内に次の様な告知書が張ってあった。

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僕らが学生の時にはなかった文章で、なんだか今話題になっている、《いじめ》に通じている様な気がした。

答: 1ーい  2ーい  3−に

2006年11月01日

不思議な写真


今日は、最近観た写真を紹介します。

一枚目は、今コマーシャルでも観る、不思議な写真です。

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僕はコーヒーを全く飲まないので解りませんが、美味しいコーヒーの宣伝だそうです。

顔が二つあるのが、解りますか?

高田馬場駅で撮りました。


もう一枚は、これです。

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これは、夜の朝鮮半島の光を映した写真です。

北朝鮮で光っているのは、平壌だけで、その光の強さでさえも、韓国の海の上の烏賊釣り船の光に叶いません。

いつになったら、この国に平和が来るのでしょうか。

2006年10月30日

アンナ・ネトレプコに惚れた!!

惚れたシリーズ第2弾には、オペラ歌手の「アンナ・ネトレプコ」を選びました。

彼女を始めて見たのは、2005年の3月頃。

テレビ・ニュースで、シンデレラの様なオペラ歌手が来日します・・・と言われて画面を見たら、物凄く綺麗な人が出ていたので、オペラなんて知らないけれど、ご尊顔を拝してみようと、物見遊山で4月28日にサントリー・ホールに出掛けた。

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聴いてみて、顔も綺麗だけれど、その声質の美しさと、歌唱力の素晴らしさに、驚いた。

特にグノーの歌劇「ファウスト」からの「宝石の歌」は、始めて聴いたのだけれど、ビックリする様な旋律で、度肝を抜かれた。

アンコールで「ジャンニ・スキッキ」を聴いた時、マリア・カラスに勝るとも劣らないのではないかと思える歌声に、うっとりとしてしまい、思わず、3日後の5月1日のチケットを買ってしまった。

そして5月1日。

オペラ・シティでも、前回よりも更に堪能して帰ろうとした時、何人かの人達が並び始めた。

「何で並んでるんですか?」と尋ねると、アンナがサインをしてくれるとのこと。

思わずホンマかいな・・とばかりに、僕も早速最後尾に並んで、その時を待った。

サインを待っていて、段々僕の番が近づいてきた時に、隣で並んでいる方が、「アンナ!!」と呼んでしまったのです。

すると・・・

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なんと僕の方を向いて、ニッコリ微笑んでくれたのだ!!

久し振りに、心を鷲掴みにされた気持ちになり、その瞬間「アンナ・ネトレプコに惚れた!!」となったのです。

そこで何か差し上げたいとの衝動にかられ、その時首に巻いていた「ファイテン」を上げました。

すると直ぐに自分の首に巻いて、撮影会に臨んでくれました。

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その優しい人柄に僕の心は完全に打ちのめされ、以来すっかりアンナのファンになりました。

その後調べてみたら、サンクトペテルブルグ音楽院の学生の時、名門マリインスキー劇場で掃除のアルバイトをしている最中に、劇場のオーディションを受けて合格したと云う、シンデレラ物語を地でいった様な人だと云うことなのです。


そして待ちに待った、2006年6月20日。

上野の東京文化会館で開演された、「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナの役で、来日しました。

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始めて観るオペラの舞台と出演者の歌声の迫力に、何度も鳥肌が立つ様な感動がありました。

今後はアンナが来る度に、聴きに行くのは間違いなくなりました。

と云うことで、5月1日に貰ったアンナのサインです。

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ロシア語で描いてあるらしいので、なんと書いてあるのか解らないのが、残念です。

2006年10月19日

松本楼へ行ってみた

日比谷公園の中にある「松本楼」は、毎年9月25日だけに、年に一度10円を1,500名限定でカレーを販売するので有名だ。
昭和46年秋、沖縄返還反対の過激派グループにより火炎瓶を投げられ全焼した時、全国からの暖かい励ましに対する感謝の気持ちから始められた、記念行事である。
また昨年、創業100周年を飾った、歴史のある店でもある。

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写真:松本楼

お昼に一人で食べるカレーの味。

morionphoto061011_f02.jpg写真:松本楼のカレー

僕には少し・・・甘めだった。

しかし森のレストランと云われるだけあって、晴れた日には、こんなテラスでの食事も楽しめる。

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写真:松本楼のテラス

今度は一人ではなく、誰かと一緒に行ってみたいものだ。

2006年10月10日

川瀬巴水に惚れた

今回から、《惚れたシリーズ》を始めたいと思います。

僕の視点から惚れてしまった、人だったり、作品だったり、景色だったりをご紹介したいと思います。

その第一弾が、「川瀬巴水」です。

彼は明治16年に生まれ、大正〜昭和を生きた画家です。

まずその作品を、観て下さい。

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写真:亀戸の藤

彼を始めて知ったのは、今年の1月28日放映の「美の巨人たち」を観てからだ。

一目で好きになり、その後インターネットで画集などを探したが、全て在庫なしで、ガッカリしていた。

處が先月7日に、丸善・津田沼で絵画展を開催していることが解り、早速行ってみた。

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写真:市川の晩秋

版画が30枚くらい飾ってあり、絵はがきを販売していて、しかも図録も売っていた。

残念乍ら、オランダのアムステルダムの出版で、全て英語なのだ。

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写真:田子の浦の夕

その中でも、特に海外で高い評価を得ているのが、この田子の浦の夕なのだ。

江戸の名残のある明治の景色と、大正から昭和にかけて少しずつ変化してゆく日本の光景が美しく残されていて、改めて惚れ直してしまった。

特に今、日本橋の上に掛かる高速道路を地中に移動しようとの話が出ているが、そんな日本橋の光景をご覧下さい。

morionphoto061010_f04.jpg写真:日本橋の夜明け

僕らが生きている内に、是非この光景を実際に観てみたいと願っている。

2006年10月03日

高気圧酸素療法を受けてみた

9月29日、仲間の有志で、畏友・山見信夫先生にお願いして、東京医科歯科大学にある、高気圧酸素療法の「チェンバー」と呼ばれるマシーンに入って来ました。

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外観はさながら、小型潜水艦と云った感じだ。
中は次の写真の様になっていて、今回は9人同時に体験した。

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4年前に日本で行われた、サッカー・ワールドカップの時に、怪我をしていたベッカムが使用したのは「オアシスO2」と云って、一人用の物で、しかも気圧も1.3気圧迄で、空気も純粋の酸素と云うことではなかったのだ。
最近では、早稲田実業のハンカチ王子が使用して、連投に打ち勝ったと評判になった。

今回体験したのは治療用のものなので、最大気圧では6気圧迄上げられるし、酸素の純度も可成り高いものなのだ。
人間に2気圧以上の気圧を掛けて、純度の高い酸素を吸い込むと、身体の末端迄酸素が行き届く為に、怪我やむくみ・糖尿病等による身体の末端へ血が通わない時には、劇的に治るのだそうだ。

但し、僕の様に元気な人間には、その効果が全く解らなかった。
しかし仲間の一人は、長年の鼻詰まりがポンと抜けるのが解り、以後スッキリしたと言っていた。

因みに我々の前に治療を受けて出てきた人達を観ると、殆どがスポーツ選手で、中にはつい最近、ボクシングの判定でやっと勝って、右目の上を切ったプロボクサーの姿も有った。

終わってから、山見先生から見せられた写真に、ビックリした。

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良く観て下さい。
鯛と鯉が、一緒に泳いでいるのです。
これは、酸素をナノ状態(1mの10億分の1)迄細かくして、1%の塩分濃度にすると、こういう現象が可能になるのだそうな。
因みに海水の塩分濃度は3%なので、これでは鯉は生きられません。
この発明によって、魚を生きたまま運搬するコストを、激減出来るのだそうだ。

産学協同研究と云いますが、とても大切なことなのだと、改めて知らされた思いでした。

2006年10月02日

大塚国際美術館を楽しむ・・・その2


9月20日に徳島へ行った。

目的は、大塚芳満記念財団の会議と伝達式に出席の為だ。

この機会にと、2年振りで大塚国際美術館に行って来た。

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混んでいた。

前回2年前にはガラガラだったのに、段々人気が出てきて、遂に今年、《ダビンノチ・コード》の映画放映により、「最後の晩餐」を観たい人が押し寄せたのと、一度に世界の名画を観られることからと、修学旅行の行程に組み入れる学校が、飛躍的に増えたからだそうだ。

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特に写真の部屋では、最後の晩餐の「修復前」と「修復後」の2枚が、対峙して飾ってあるので、余計混んでしまうのだ。

そこでまた、新たなことを学んで来た。

前回~9月8日に書いた「受胎告知」の続きになりますが、決まり事として、「指の形」と「マリア様の服装」の他に、【天使が純潔を表す白百合の花を持っていること。】があるのだそうです。

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そしてマリア様の近くに、【聖書もしくは、聖書の書見台があること。】で、これらの決まり事のことを、《マトリビュート》と云って、中世迄は、必ず守られていたものなのだそうだ。

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因みにオリーブを鳩が銜えている場合には、平和の勝利を意味するのだそうな。

改めて観てみると、受胎告知だけのコーナーがあり、これだけの絵画を一度に観られるのは、正に圧巻でした。

2006年09月08日

大塚国際美術館を楽しむ

大塚国際美術館は、1998年3月に開館した。

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建設の数年前から、当時の会長の大塚芳満さんから聞いていたが、入場料を5,000円にすると仰る。

当時の日本の美術館の入場料金の平均が、1,200円なのに、まして徳島県鳴門市の外れの立地で、
しかも陶板の複製で、絵の中に線が入っているのだから、どんなに高くても、800円がいい處だと思い、進言した。

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完成して幾らの入場料にしたか訪ねたら、3,000円にしたとのこと。

「貴君の意見も、少しは入れたから・・。」と茶目っ気たっぷりの顔をされた。

その金額では、入場者は少ないだろうと思い、行ってみた。

確かに、空いている・・・だから実に見易い。

しかし目が慣れてくると、陶板であることもだが、絵の中の線については、全く気にならなくなる。

そうして見てみると、全ての絵について、額も全く原型と同じものにしたことの効果もあり、見学者が少なく、自分が気に入った絵画とたった一人で対峙出来るので、観ていて全く、飽きがこない・・いやそれどころか、今この絵は、自分だけのものだとの錯覚さえ生まれる。

こうして結局、毎年の様に通ってしまっている。

何故なら、これだけの名画の本物を観ようとしたら、飛行機代や宿泊代を計算すると、とんでもないお金と時間が掛かるからで、僕は今では、入場料についてはむしろ安い位だと宣伝する様になったのだから、経営者の先見の明が、いかに違うかと云うことも、改めて思い知らされてしまった。

と云うことで、折角これだけの絵画が一同に会しているのだから、大塚国際美術館でなければ楽しめないことを、お教えしよう。

ここに4枚の「受胎告知」の絵があります。

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この絵に、共通していることがあります。

それは、天使が全て「人差し指と中指を立てた状態で、マリア様に対峙している。」と云うことです。

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この指の形が、「祝福」を意味するのです。

今度はこの5枚に、「聖母子像」の2枚加えて、この6枚に共通することがありますが、解りますか?

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6枚の絵に共通していることですが、昔からマリア様の姿は、必ず「濃紺と赤」の着衣であるが守られて、描かれていることです。
濃紺は信仰を表し、赤は愛を表します。
因みに緑が使われている時には、謙譲を表しています。


次にこの《祝福の指の形》を利用して、真意とは全く違う表現をさせている絵画があります。

それがこの、ナポレオンの戴冠式の絵です。

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この絵の中の、ローマ法王の代理で来た枢機卿の指を観て下さい。

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実際には祝福の意志がないのですが、指の形をその様にすることで、枢機卿の意図を代えたのです。

この絵画を描くことをナポレオンから命じられた「作者:ダビッド」の、正に苦肉の策だったのです。

さあこんなことを頭に入れて、是非一度、徳島県鳴門市に、足を運んでみて下さい。

期待以上のものがあることは、保証します。

但し、館内一周で4kmありますから、歩きやすい靴で・・・!!

2006年09月03日

考える人

バチカン市国にある「システィーナ礼拝堂」の改修工事が始まったのは、1982年6月からである。
この礼拝堂は、1505年3月、時のローマ法皇ユリウス�世(65才)が、ミケランジェロ・ヴォーナロティ(33才)に命じて、まず天井画の製作から始め、約30年をかけて、壁画の「最後の審判」を描いて完成した大作品だ。
これだけの作品だけあって、改修工事が完成したのも1994年の4月と、実に12年の歳月が掛かった。

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改修工事で判ったことは、原画の上に加筆・修正が加えられていたことだ。
服を着て赤ん坊を抱く女の人に、実は乳房が出ていたり、男だとばかり思われていた絶望する人が女性だったり、傑作なのは、製作中ミケランジェロに意地悪くあたった当時の儀典長:ビアージョ・ダ・チェゼーナを、地獄の番人のミノスとして描いた上に、その腰の布を消したら、なんとミノスのペニスに蛇が噛み付いていたことで、仕返ししていたことだ。

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その絵画の中で、預言者エレニアは、後のオーギュスト・ロダンが「考える人」を作成する時にモチーフにしたと言われている。

参照 http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/michelangelo_universale.html

前置きが長くなったが、この「考える人」一体何を考えているのだろうか。
普通に考えているにしては、少し体形がおかしい。
右手の平と甲が口の中に入っている様に見えて、尚且つその右肘が左足の膝の上にある。
なんだか少しゆがんでいる様だ。
そして一体どこに座っているのか。
まさか便座ではあるまい。
一般的に「考える人」は、単独で飾られていることが多いので、こんな疑問が生じてしまうが、実は彼には定位置があるのだ。

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彼の定位置は、ロダンの作品群の中でも超大作と云われる『地獄門』の中央、一番上の所が、彼の居場所なのだ。
地獄門は、左が地獄で、右が天国として造られている。
そう彼は、死んだ人間を天国へやるべきか、地獄へ送るべきかを「考える人」なのだ。
日本では「浄玻璃の鏡」というのがある。

つまり人には、4つの見方があって・・
「自分も他人も知っている自分」
「自分は知っているが、他人は知らない自分」
「他人は知っているが、自分は知らない自分」
「自分も他人も知らない自分」
の4つの要素を実行しながら、生きているのだと云うことだ。

死んで閻魔様の前でこの鏡の前に立つと、自分の生前におけるこれら善・悪の所業を映し出され、天国へ行くのか、地獄へ行くのかを決められると云われている。
つまり「考える人」は、西洋版の閻魔様なのだ。

一度見てみたいという方は、東京上野の国立近代美術館に行かれることをお勧めします。
  無料で見られる『地獄門』があります。

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作者ロダンは、《これより先この門をくぐる者は、一切の望みを捨てよ》との意味を込めた。

改めてこの門を見て、たまにはご自身の人生を振り返ってみては如何でしょうか?

2006年08月10日

高松伸君の事

今日は、畏友・高松伸君の事を書きたいと思います。

20年近く前、名古屋の友人:加納隆さんからの紹介で、京都で会ったのが始めてだった。

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大変高名な建築家と紹介されたが、その頃の僕も結構勢いがあったので、彼の名声については余り気にならなかった。

昨年来立て続けに会い、同年齢の事もあり、改めて気の合う友人なんだと、認識した。

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そして仕事も少し一緒にする様になって、中々の奴だと感じ始めていた。

そんな時、彼の作品集を貰って、度肝を抜かれた。

まずは、ご覧下さい。

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天津博物館・全景

日本でも凄いが、中国・台湾はもとより、ロシアなどでも、沢山建てている。

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天津博物館・夜景

日本でのものも、ご紹介します。

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国立劇場・おきなわ

先日、名古屋医科大学で、彼の講演を聴いたが、素晴らしいものだった。

これからの建物についての概念と医療の融合についてであったが、その見識の高さ、知識の広さや深さには、改めて感心してしまった。

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真宗大谷派 東本願寺 

これからは気軽に、「伸ちゃん!!」等とは呼べない様な、気迫さえあった。

しかしその夜、深夜までの語らいで、相変わらずベロベロに酔っぱらった彼を見て、やっぱり友達で行けるんだと、安心した。

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キリン本社

彼はこれから、希代の天才建築家と呼ばれる様になるだろうと、確信している。

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ワコール本社

しかし呑む時は、いつもの伸ちゃんでいて欲しいものだ。

次回は今月24日、株式会社フェイスの平澤創社長も交えての、懇親会で京都で会う。

こんな素晴らしい建築設計家が日本にいることを、知って頂ければ幸いです。


☆参考ホームページ

http://www.jcarb.com/KenchikukaShousai_9302182.html

http://www.takamatsu.co.jp/

2006年08月09日

七夕祭り

今日は、七夕祭りだ。

江戸時代に、「かかぁ・・・織り姫と彦星は、可哀想だなぁ・・・一年に一回しか会えなくて。」と云うと、「ほんに、そうだねぇ・・・おマイさん。」と答えたとの話がある。

それを聞いていた彦星が、「人間ってバカだねぇ。だって僕たちは、今年で50億回も会っているのに、人間は、毎日会ったって、せいぜい3万回程度なのにねぇ・・・。」と云ったとか。

矢張りお星様は、スケールが違いますね。


扨、話はガラッと変わりますが、随分前から僕は、「粋」と云う文字について、疑問を持っていた。

それは、片(ヘン)が「八十八」で、旁(ツクリ)が「九十」だからだ。

「粋は深川  いなせは神田 人の悪いは○○○」と云われる位、江戸時代では「粋(イキ)」が尊ばれた。

この○○○は、何処を指しているか、解りますか?

答えは、一番最後に・・・!!


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粋でいなせの代表が、江戸の火消し衆です。


故・杉浦日向子さんの著書「ぶらり江戸学」には、この様に書いてあります。

少し長いのですが、是非お読み下さい。

『この「粋」という文字を、江戸では「イキ」と読み、上方(京都・大阪地方)では、「スイ」と読むんです。

おんなじじゃないかと思われるかもしれませんが、全然違うんですね。

「粋(イキ)」と「粋(スイ)」。

「イキ」にはいろいろ当て字があるんですけれども、ます、意見の「意」に気持ちの「気」。

「意気地」を張るとか、つっぱりの感じが、「意気」です。

ちよっとした着崩した感じとか、不良っぽいのが「いきだね。」と云う場合は、この「意気」を書きます。』

中  略  「大江戸の 夏は隅田の 夕涼み」

『これに対して、上方の「スイ」は、割とこの「粋」の字一つの様です。

で実は、この「粋(スイ)」というのは、呼吸の「息」に通じるんです。

ということは、上方の「粋」には、「吸う」に通じます。

上方の「粋(スイ)」は、身の回りのあらゆるものを自分の身の内に取り込んで、血肉として自分を磨いていく。

いろいろ習い事をしたり、情報を集めたり、教わったり教えたりという、人の間でもまれて身の内に吸収して、「粋(スイ)」になっていく。

おしゃれにしてもそうです。 お白粉を塗る、紅を重ねる、着物を重ねるというふうに、どんどん乗せていく、プラスの美学なんです。

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廓文章から、大阪新町にある「吉田屋」で繰り広げられる、芝居。
着物が、沢山重ねられている見本です。

これが「粋(イキ)」になると、マイナスの美学ということになります。

さきほど、「粋(イキ)」は「息」だと言いましたが、呼吸は吐いたときに「息」になるんです。

吸っているときにはただの空気で、それがからだの中を通って、吐いたときに息になる。

この、身の内から外に出していくというのが、江戸の「粋(イキ)」なんです。

こそぎ落としていく、背負い込まない、吐いていく、削除していく、そうやってぎりぎりの最低限のところまで削り取っていって、最後に残った骨格のところに、何か一つポッとつけるのが、江戸の「粋(イキ)」なんです。』

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助六の見栄・江戸の粋の典型的なスッキリした艶姿。

つまり、上方の粋は足し算で、江戸の粋は引き算だと言うことだ。

「宵越しの金は持たねぇ・・・。」と言う位、スカンピンでも恥ずかしくはなかったのだろう。


それにしても、八十八と九十の間とは・・・八十九が粋なの?

この疑問を、共立女子大学の内田保廣先生に訊いてみた。

「八十九即ち、八九=やく=厄が抜けていると解釈してますが・・・。」とのこと。

納得!!

ですから・・・七夕に書いた話を、敢えて今日、8月9日に掲載しました。

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仁左右衛門の火消し姿・・・粋でいなせな、男の艶(あで)やかさの典型だね。

と云うことで最初の「人の悪いは○○○」・・・解りましたか?

答えは、「日本橋」でした。

2006年08月04日

親父友達・大塚会長から教えられたこと

今日8月4日は、大塚製薬の創業者のお一人である、大塚芳満氏が亡くなられて、満7年目になります。

それを想い出して、大塚さんとのお付き合いを書いてみたいと思います。

但しこの文章は、亡くなられた後、追悼集に掲載させて頂いたものに、写真を加えたものです。

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親父友達・大塚会長から教えられたこと
                                        中 村 守 夫

  「君は、勉強に来たのか?遊びに来たのか?」これが大塚さんから私への、第一声でした。
ニューヨークのケネディ空港で、1987年8月29日(土)の午前10時30分。
経営合理化協会主催の「アメリカの‘87新しい動き」という研修旅行で、ボストンに向かうPA-528便に搭乗する直前のことでした。
  何人かの悪友も一緒に参加していましたので、研修の方はそこそこに、結構羽目をはずすことも多い旅行でした。
その中でも前の晩、ニューヨーク・ハドソン河のナイトクルーズの船上で、私がアメリカ人の可愛い女の子を誘ってダンスをしたことを指しての発言であることは、すぐに気が付きました。

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今考えると失礼な返事をしたものだと思っていますが、その時の私は「会長だって、昔は女の子とダンスくらいしたでしょう?」というものでした。
すると「ああ、君がきのう踊っていた女の子よりも、もっと可愛い子とな!」との返事!これには驚きました。
  さらに厚かましく私が「随分綺麗な、お若い奥さんですね!?」というと「ああ、あれは二人目やからな!!」と。
なんちゅう人じゃこの人は…絶句しました…私。 この時からです。 
大塚芳満という人に興味を持ち続け、そしてその想いは今も尽きません。

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 思えば大塚さんとのお付き合いは、こんな会話の連続でした。
  最初の思い出深い出来事は、この旅行中のことでした。
同行した我々悪友連の間では、奥様を「八千草薫」、会長には「菅原文太」とひそかにあだ名をつけておりました。
旅行の最後にお別れパーティーを催すことになり、私が責任者になっておりました。パーティーの開会の言葉をお願いに文太会長のお部屋へ伺った時でした。
そんな感じでみんなには、「行ってくるよ」「行っておいで」とばかりに気軽な気持ちで出掛けたのですか…。「君達若い者が考えているんだから、自由に、好きなようにしたまえ」というばかりで、なかなかお引き受け下さいませんでした。
そのうち私の困惑した様子をみてか、不承不承ながらお引き受け下さいました。
  翌日の夜のパーティーでは、昨晩の仕返しとばかりに豚のお面を会長に被っていただき、徳島の阿波踊りをお願いしたのです。
すると今度は気持ちよくお引き受け下さり、阿波踊りの指導を兼ねて奥様と一緒にその場を大いに盛り上げて、最後は全員で阿波踊りを踊って、大変楽しいお別れパーティーを催すことができました。

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我々悪童共は呆気にとられ、まさに一本とられた感じでした。
まるで親鳥が羽を広げて包み込むような、そんな温かさを感じ、会長のスケールの大きさに心から感動しました。
  翌朝、団長の高島 陽さんから、「今まで経験した『お別れパーティー』の中で、昨日のが一番楽しかった」と言われ、企画した仲間全員で喜び合いました。

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これ以降、鳴門と東京で、会長と私の文通による遠距離交際(?)が始まったのです。
私にとっての会長は、「親父友達」という不思議な関係になってゆきました。

 そんなお付き合いの中で、私の事業の方向性を大きく変えた助言がありました。

 1995年の2月に、私は、ザ・ビートルズのメンバーで、故「ジョン・レノン氏」の記念館を日本で造る構想について、すでに未亡人の小野洋子さんとの契約も済ませていたにもかかわらず、最終的に実行に移すべきか、止めるべきかを悩んでおりました。
 家内の薦めもあり、ご迷惑と思いながらも会長にお手紙を書きましたところ、すぐに次のような返事を下さいました。
  要約しますと、「本当の商売というものは、他人の名声を利用したものではなく、自分の力でできる仕事をすることだと思います。また君は、それができる人だと思っています」と諫められ、励まされたことです。

 このお言葉によって私の中の迷いは吹っ飛び、「ジョン・レノン記念館」の建設計画を断念しました。
 なお余談ですが、今年(2000年)の10月に「ジョン・レノン記念館」が埼玉県の大宮で竣工の予定です。
私は、このプロジェクトには参画しておりません。

  そして一番激しくやり合ったのが、最後にお会いした時でした。
奥様と私からの二つの「延命のお守り」を持ちたくないと言いだされたのです。
鳴門へお伺いして「延命の願いを込めたものだから、ぜひ持って欲しい」と申し上げたのに対し、『人の命は天命であり、お守りを持ったくらいで命が延びるものではない。』と強く拒否されました。

  当時会長の癌については、御家族の方のみが御存知で、会長自身も知らないことでした。
しかも12月まで持てばいいと言われていた年の、9月のことです。
一日も長く生きていただきたいとの一心でしたので、私の語気も失礼なほどに激しくなり、返す会長の言葉も強くなりました。
  その時のやり取りを気に掛けて下さったのでしょうか、会長から最後に戴いたお手紙には、こんな風に書いてありました。
  『私にとって、お守りは猫に小判です。あなたも金運があって信じたみたいだけど、まだあなた、1年、半年で答えはムリですよ。それほどご利益があるなら、デスクに置いて、ずっと2~3年実験して下さい。私の延命は、誰もわかりません。運があれば4、5年、なければ一年でオダブツですよ。』(原文のままです。)
 消印は鳴門局で、平成10年11月16日。亡くなられる9ケ月前のことでした。

お通夜の時に奥様と、「お守りは持っていただけなかったけれど、こっそりとおそばに置いたお陰で、8ケ月の延命ができたんですよね。」と慰め合いました。
 
話は前後しますが、ある時、私の事務所にお越しいただいた折に、手土産代わりだと言って、こんなことを仰いました。
  「人を観るときには、相手が有名だとか、お金を持っているとか、テレビやマスコミによく出ているとか、そういったことを一切抜きにして、自分の勘、すなわち心の眼でみて人を判断せよ。」
  この言葉を、いまでも初めてお会いする人との名刺交換の際に、思い出します。
  これまで数え切れないほど沢山のことを会長から教えていただきましたが、『自分の力でやり遂げよ! 他人の力を頼るな!!』という根本の教えを、これから私がどの程度実行していけるのか、天国から見守っていただきたいと、願って止みません。

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 心から御冥福を、お祈り申し上げます。ありがとうございました。

  感謝合掌 

2006年07月02日

更にビックリなエピソード


僕が小野洋子さんの別荘に行ってたのは、1996年7月のことだ。

ここにはコテージが数個あり、洋子さん用と息子のショーン用と、料理をする方・管理の方用、そしてショーン達が来て、録音出来る為のスタジオと、幾つもが建っていた。

しかし同じ敷地内ではあるけれど、数百メートルずつ離れているので、行き来するには、三輪車のオートバイを使用した。

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写真:洋子さんの別荘にて

僕はショーンのコテージに泊めて貰った。

そのショーンのキッチンの冷蔵庫に、さりげなく磁石で張り付いている封筒がある。

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ん〜と思ってよく見ると、なんとポール・マッカートニーが、ショーンに宛てた封筒ではないか!!

表面には、漫画も描いてある・・・ポールが画いたのだろう。

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裏面には、ポールからショーンへ、さりげない気遣いを感じるメッセージが書いてある。

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多分・・・ポールが新しく出すアルバムをカセットに録って、いち早くショーンに聴かせたいと思って、送った時の封筒だと思った。

ジョンとポール、洋子さんとポールとの仲が良いのか悪いのかと云われて喧しいが、ポールがショーンに気遣いをしていたことが解って、ジーンとしてしまった。

父親をなくしたショーンに、父親の友人として配慮するポールの気持ちに、とっても感動した。


ついでに・・・「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と云うビートルズのレコードがある。

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そのジャケットの表面・左下に、日本の「福助人形」が置いてある。

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この人形が、後年どこに行ったのかは、ビートルズのファンの中では有名な疑問だったのだそうな。

その人形を見付けた。

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ダコタのキッチンの棚の上に、さりげなく飾ってあった。

日本贔屓のジョンらしい飾り方で、素敵だった。

2006年06月30日

6月30日


忙しさにかまけて、すっかり御無沙汰になってしまいました。

申し訳ありませんm(_ _)m

と云うことで、お詫びの印に、珍しいお話しお聞かせしましょう。



今日も相変わらずビートルズの話題が続くので、僕の体験したことをご披露しよう。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と云う詩は、ジョン・レノンがたびたび通っていた、ジョンの自宅近くにある「ストロベリー・フィールズ」と云う名の孤児院に由来する歌である。

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☆ストロベリーフィールズのレコードジャケット

このストロベリーフィールズの正面からの写真は、有名な写真家が沢山撮っているので、観たことのある人も多いはずだ。

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☆「ストロベリー・フィールズ」の正面の入り口

しかし・・・このゲートを、裏から撮った写真を観たことがあるひとは中々いないはずだ。

何故なら、孤児院だからやたらに人を入れないからだ。

しかし僕は撮っている。

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☆「ストロベリー・フィールズ」の正面裏から

おまけに、この敷地の中には、ジョンが寄付した遊び場用の家もある。

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☆ジョン・コート

そしてこれが、ジョンが、ミミ叔母さんと住んでいたリバプールの市営住宅だ。

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☆ジョンの家

年月を忘れさせる様に、とてもきれいな白い壁が印象的だった。


そしてこの家の前に広い道路があり、その向こうに、大きな公園があつて、その公園の向こうにポールの家があった。

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☆ポールマッカートニーが住んでいた家。

この公園を、ギターを担いだポールが、何度となく往復したと聞いて、何故かとても感動した。

2006年06月29日

ビートルズ記念日

今日6月29日は、ビートルズが来日してから、40周年に当たる日だ。

小生が朝から聴いている「ニッポン放送」では、朝から特集を組んでいた。

その8時半からの、「上ちゃんのサプライズ」で投書を誘っていたので、投稿したところ、終了間際の10時55分に、遂に読まれた\(^o^)/

「ビートルズが来日したのは、僕が大学1年生の時だ。

チケット購入の為、森永に応募して、運良く当選した。

それを、久し振りに会った高校時代の友人・北君に話した処、

いきなり土下座をされて、そのチケットを譲ってくれとのこと。

正に口は災いの元で・・・泣く泣く譲って上げた。

但し、半券は返して貰うと云う条件を付けて!!

その後3年程して、ビートルズが大好きと云う女の子と付き合い始めた。

そしてその娘の誕生日に、その半券を上げた。

その娘が、今では結婚34年を過ごした妻となっている。」と云う、内容のものでした。

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その時半券が、これです。

北君から戻って来た時のシミが、そのままついていて、40年の歴史を感じる。

家内は今でも、ビートルズ・・・それもポールマッカートニーの大ファンで、次の来日を今から楽しみにしている。

多分来年来日するだろうから、今度は最後になるかも知れないので、是非一緒に行ってみたいと思っている。

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2006年05月15日

「そっくりさん」

先日の会合で、荻野さんが経営している新宿の「パセラ」に行ったら、『レーザーラモンHG』のそっくりさんに会った。

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彼は、「笑っていいとも」にも出演したことがあり、その時には、レーザーラモンHG本人と腰を振る回数を競争して、本物に勝ったとの逸話も持っていた。

実際の彼は、面接の時にはごく普通の顔や服装で来たそうだが、レーザーラモンHGが流行りだしたら、勤務先がカラオケのお店であることで、髯を伸ばしたりして、わざとそっくりな格好にしたのだそうだ。

本当に良く似ているし、声も実に良く似ているので、驚いてしまった。


この様に、自分に瓜二つの人がいることを、「ドッペルゲンガー」とドイツ語で言う。

これは英語で云う処の「ダブル」と云うことで、自分にそっくりな分身のことを云う。

だがドイツの伝説では、ドッペルゲンガーを見た者は、数日の内に必ず死ぬと云われている。

2003年には、役所広司・永作博美・ユースケサンタマリア等の出演で、「ドッペルゲンガー」と云う日本映画が作られているそうだ。

ユーモアのあるサスペンスと説明はあったので、一度は観てみたいものだ。

しかしパセラの彼はとても元気な人だし、レーザーラモンHGも活躍しているので、これはあくまでも、ドイツでの伝説なのだろう。

だがもし、彼がレーザーラモンHG本人だったとしたら・・・。

2006年05月08日

「ミシュランの星」

芝パークホテルにある、「タテルヨシノ」が経営する、パリの「レストラン・ステラマリス」が、「ミシュランの星」を取得した。
意外に思われると思うが、実はこれが日本人では始めての取得だとのことだ。

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この写真は、芝パークホテル社長の、畏友・石原直さんが、祝辞を述べている処です。


扨今世界中で「ミシュランの星」を取得しているのは、次の数のレストランだけです。

三ツ星が、26店。 二ツ星が、70店。 一つ星が、421店だ。

一つ星に昇格すると、店の売り上げが40%UPするともいわれています。

ホテルの場合は、五つ星があるが、レストランの場合は、三つ星が最高だ。

10年前から取ると言われていたので、遅きに喫した感があった。

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これはその時のお料理の一部です。

次の会合があったので、堪能出来ず・・・残念でした。

2006年05月07日

フォト俳句について

今日は、フォト俳句についてお話したいと思います。

最初に撮った写真は、これです。

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少し角度を代えて、一番良いと思える角度を探して、撮ってこの俳句が出来ました。

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写真を撮るコツは、被写体(自分が撮りたい対象物)を、色んな角度から観察することです。

そうすると、自分にとって一番良い角度が、見付かる筈です。

これはある意味では、人物を観察する時も、同じだと思います。

欠点を論(あげつら)うのではなく、色んな話をして、その人の良い処を見付ける様にしたいものです。


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僕は後2年で還暦になるのですが、還暦には昔から、赤いちゃんちゃんこを着る習わしがあります。

そこで、先に見える赤い橋を、ちゃんちゃんこ代わりに見立てて、そこに行き着く迄の路を、年月と考えました。

その道は、この写真の路の様に、ゆったりと曲がりながら〜多少の苦労はあり乍らも、櫻の木々の下を歩く様に、穏やかに、楽しく生きていければとの願いを込めました。

但し、あの橋の下の川が、「三途の川」でないことを、祈るばかりです。

2006年05月06日

5月6日

昨晩も、細木和子さんの番組を観た。

畏友徳光和夫氏が共演しているだけに、不思議な気持ちで観ている。

細木女史は、戦後日本の政治史の裏側を観て来た人だけに、白州次郎氏の活躍など、中々な話をしてくれた。

しかし去年、ホリエモンをあれだけおだて上げていたのだから、彼女の占いは当たらないと云われても、仕方ないだろう。

おさるがモンキッキーに代わっても、むしろ出番゛か少なくなっている様な気さえする。

扨、あれだけテレビに出ているのだから、当然東京に住んでいると思われるかも知れないが、実は彼女の家は京都にある。

この写真がそうです。

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1,000坪以上はありそうな大きな家であるが、表札がないので、知っている人は少ない。


その足で、京都の残り櫻を観て来た。

原谷苑と云って、個人のお宅の櫻なので、入場料が必要だが、十分にそれだけの価値はある。

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櫻が重なって見えて、物凄い迫力でした。

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お酒呑む人 花見がお好き 今日もさけさけ 明日もさけ

2006年04月11日

4月11日(火)

こんな僕のブログでも、結構楽しく観ていて下さる方が増えている様で、実に有り難いことです。

そのご期待に添うべく、書く時間がない時には、僕が今まで撮って来た写真に俳句を付けた、『フォト俳句』を載せて行きたいと思います。

『フォト俳句』の狙いは、呆けない為です。

撮った写真に、自分なりの想いを、五・七・五にすれば良いのですから、簡単です。

と云うことで、御同輩には勿論、若い方々にも、是非お奨めです。

僕でも出来るのですから・・・仲間が増えると嬉しいことです。


では先ず2003年の9月に、四国を半周した時の写真からです。


これは9月19日(金)羽田からの飛行機で徳島に着き、その後午後3時に出発して、午後7時に着き、良く眠った翌朝の景色です。

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着いた時には、真っ黒で景色は何も見えない状況でした。

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これが四万十川の源流と云われている処です。

2006年04月06日

若者と熟年の方々へ

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「若者叱るな、来た道じゃ!!」


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「年寄り笑うな、行く道じゃ!!」


何かを感じて頂ければ、幸いです。


因みに2枚とも、先月後楽園で撮ったものです。

2006年04月01日

雨晴海岸

3月18日に、折角富山県の高岡に来たのだからと、朝4時半に起きて「雨晴海岸」に行って来た。

この季節は風が強く吹くので、くっきりと稜線が見えて、良い写真が撮れるはずとの触れ込みで、勇んで出掛けました。

しかし風が無く、日の出なのに、こんな写真しか撮れませんでした。

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雲の切れ間からの日の出なのではなく、山頂からの日の出なのです。


ここは、次の写真の様に、海から一気に3,000mの高さの山まで見えるのは、世界でもここ雨晴海岸だけなのです。

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この写真は、恥ずかしながら写真を撮った写真です。


全景は、こんな感じです。

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この2枚は、2005年4月に撮りました。

2006年03月25日

☆岡山の後楽園に行って来ました

Jacasseには、岡山県の玉野と云う処に、「うしべ亭」と「Jacasse」の店がある。

今回は、この店での月次会議の為岡山に行き、少し余裕の時間がありましたので、始めて「日本三名庭園」の一つ、後楽園に行ってみました。

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そこで、こんな光景を観ました。

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「花無心に招く」と云う言葉が、正にピッタリでした。

一番綺麗に咲いている花に、一番沢山人が集まっていました。


次は、園内の高台から観た風景です。

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昔は、ビルなど有りませんから、殿様はどんな気持ちでこの景色を観たのでしょうか。


次に、今回から始める「フォト俳句」の第一弾です。

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「春の香を 後楽園の鳩と観る」

お楽しみ頂ければ幸いです。

2006年03月21日

羽田からの富士山

飛行機の中では、安定飛行に入る迄は、デジカメやコンピューター等、電波を発するものは、点けてはいけない。

と云うことでライカを持参して、羽田を離陸中の飛行機の窓から、富士山を撮った。

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丁度この日は、前日の前線が通過後で、風が可成り強い日だった。

撮って出来上がって来た写真を観て、改めて「富士山は以外に近い。」と感じたことだ。

昔は日本橋からも、こんな富士山が見えたのだろうか?

人類は、進歩と言う名の退化をしているのではないかと、感じることが時々ある。
その典型が、鍵を掛けずに外出できると云うことだ。
今でも沖縄諸島では、そんなことは当たり前だ。
文明は進んで、どんどん便利になっていくのに、心の便利は段々少なくなっているのではないか。

こんなことを考えるのは、僕だけだろうか。

2006年03月20日

☆空からの富士山☆

Jacasse高岡店の月次会議の為、飛行機で羽田から富山空港経由で、高岡に行きました。

高岡に行く楽しみは、何と云っても富士山の写真を上空から撮れることです。

と云うことで、今回撮った写真をご覧下さい。

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今回は、冬なので雪景色だったが、普段の富士山はこんなです。

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離陸して直ぐにはデジカメが使えないので、ライカでも撮りました。

それは明日アップします。

2006年03月16日

汪成さんのこと

この写真は06年2月に撮ったものだが、彼女が高校1年生の時に知り合ったのだから、もう9年近いお付き合いと云うことになる。

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僕が池袋の要町に事務所を引っ越して来て、近くに在った「山東菜館」と云う中華料理店のお嬢さんで知り合ったのだった。
お母さんは、揚琴(やんちんと呼びます)の名手で、今では「女子十二楽坊」の恵比寿校の先生もしています。

一時期は、お医者様になる目的を持って勉強していた時期もあったが、矢張り蛙の子は何とやらで、上海の音楽学校に留学して、元々の才能を急激に開花させた。

全国各地でコンサートをしているが、1月17日(火)放映のTBSの「学校へ行こうMAX」と云う番組では、V6のメンバーの岡田准一君に、お母さんと交代で揚琴を教えて、何と岡田君は女子十二楽坊と協演して、「涙そうそう」を立派に演奏してみせた。
先生として、あれだけの短期間でよく完成出来たのものだと、教育者としての能力にも、感心してしまった。

今では昭和音楽芸術学院で、二胡の講師を務めている程だ。


扨その彼女が、自分が中心になって始めてのコンサートが開かれます。

そのパンフレットがこれです。

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彼女の写真が違っていますが、これは余りに似てな過ぎるので、小生の独断で現実に近いものに代えてあります。
今回は、中国音楽だけでなく、日本の曲や西欧の曲も演奏すると云う。
中国からわざわざ、叔父さんで、有名な音楽家の成海華氏まで駆け付けて、協演して下さるとのこと。
どんな演奏会になるのか、今から楽しみだ。

興味を持たれた方は、一緒に聴きに行きませんか!?

と云うことで、汪成さんのホームページアドレスです。

http://erhu11.exblog.jp/

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女子十二楽坊全員と、一緒に写っている写真もありますよ。

http://erhu11.exblog.jp/m2005-12-01

の下から2番目です。


2006年03月15日

『常々心に思うこと・・・・友へのメッセージ』

昨日は、御殿場のプレミアム・アウトレットに行って来た。

その往路で、小田急の中からの写真です。

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そのアウトレットにある、ジャカッセの月次会議に出席の為でした。


扨今日は、1991年に書いた文を載せたいと思います。
これは当時会員だった「心話會」の月報9月号に掲載されたものです。

『常々心に思うこと・・・・友へのメッセージ』

「楽しくなければ、人生じゃない! 明るくなければ、会社じゃない!」をモットーに毎日を過ごしているつもりですが、それだけではなく、矢張り日々様々なことを考え、悩みます。
そんな時、ピッタリの言葉や名言に巡り会うと、ホッとすることがあります。

「ああ、先人もこんな事を考えていたのか。こんな風に解決したのか。」等々、どれだけ助けられたか、判りません。
そんな言葉を白い本に書き込んだのが、10年の間に、4冊になりました。

今回原稿のご依頼があったとき、見直してみる良い機会だと思い、改めてページを繰ってみました。
その中から、心話會の仲間の顔を思い出しながら、次のような言葉を書いてみました。

ご笑覧下さい。

題目は、あいうえお順

☆英雄  英雄とは、自分の出来ることをした人だ。
     処が凡人は、その出来ることもしないで、出来もしないことを望んでばかりいる。  ロワン

☆エロティシズム  「ようはここ(頭)の問題。 エロティシズムとは、教養だよ。」 モリー・モロワ(パリのクレージー・ホースの専属振り付け師)

☆女   女が愚かであることを私は否定しない。
     全能なる神は、男にピッタリ合うものとして女を創り給うたのだ。 ジョージ・エリオット

☆体  災いは口より出で、病は口より入る。 中山恒明

☆書くこと   記録に勝る、記憶なし。

☆企業  人生や企業を哲学的に言い尽くすことは出来ない。 これらは音楽の様なものだ。 スプランガー

☆苦労  火の車 造る大工は無けれども 己が造りて 己が乗り往く  奥田行朗 猊下

☆経営  財を為すは下、事業を為すは中、人を創るは上。      

☆心   憂さも 辛さも 腹立たしさも 心一つのおきどころ

☆子育て  かわいくば 五つ教えて三つ褒め 二つ叱って良き人にせよ 

☆ゴルフ  ゴルフコースは、女に似ている。
      諸君の扱い方によっては楽しくもあり、手に負えないこともある。 トミー・アーマー

☆酒    酒に量なし。 乱に及ばず。  孔子

☆仕事   どれだけ働くかではなく、どれだけ効率的に、能率的に働くかが仕事だ。 ウォルノフ

☆人生  裏も見せ、表も見せて 散る桜 (紅葉の場合もあり)

☆成功  成功は、全ての人間の悪しき性質を誘い出す。 ヒルティ

☆旅   旅するお陰で我々は確かめることが出来る。
     たとえ各民族に国境があろうとも、人間の愚行には国境がないことを。 プレヴォ

☆妻   妻、二種類しかない。 譲歩する妻と、譲歩させる妻とである。 ベクー

☆友   天に口なし。 人をして云わしむ。

如何でしょうか!? 
賢明なる友人各位であることは、百も承知ではありますが、些かなりともご参考になれれば、幸いでございます。

では最後に「私」について・・・・。
私の願う自身の人生とは、『好きなことを好きなようにやり、それがまた人の役に立っていくことだ。』
感謝合掌!!


と云うことで今読んでも、とても15年前のものとは思えない程、真理を突いた言葉ばかりで、驚かされました。

では写真の第2弾です。

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プレミアム・アウトレットに、是非行ってみて下さい。

こんな富士山にも、会えますよ!!

2006年03月09日

☆勘違い

「赤い靴」と云う歌がある。

この一番の歌詞の最後に、「異人さんに連れられて、行っちゃった。」と云う部分がある。
この異人さんの処を「良い爺さん」とか「曾(ひい)爺さん」と長年思っていたと聞いて、びっくりしたことがある。

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★明治大学の天井・これはドームの天井ですが、写真だと平らに見えます。

僕の場合は、童謡「赤とんぼ」の「負われて見たのは…」が「追われてみたのは…」と思い、とんぼを追いかけることだと思っていた。

また友人の場合には、巨人の星のテーマ曲で、「思い込んだら」を「重いコンダラ」と思っていて、「コンダラ」ってどんな物だろうと思っていたとか、この手の勘違いしたままの記憶について上げれば、枚挙に暇がない位あると思われる。

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★サインがないと、上・下が解らない写真

そんなに悩むのなら、さっさと他人に訊けば良いのにと想う様なことでも、人は訊かないまま、案外思い違いをしたまま、過ごしていくものだ。

文章だと、典型的なのは、「ぎなた読み」と云うやつだ。

この源は、「弁慶がなぎなたを持って…」と云う処に、句点を忘れた為に、
「弁慶がな、ぎなたを持って…」と読まれたことに由来している。

この「ぎなた読み」から、意外な言葉が生まれている。

花魁(おいらん)だ。

これは江戸時代の始め頃、禿(かむろ〜吉原等で働く10歳前後の女の子のこと)達が、自分の仕えている女性のことを、「おいらんちの姉さん」と呼んだことから、「おいらん、ちの姉さん」で花魁になったのだと云う。 
文字は、後から宛てたものらしい。

因みに「禿〜かむろ」と云う字は、他に、「はげ」「ちび」とも読む、実に不思議な文字なのだ。

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★銀座の街の片隅で見付けた、足は撮っている僕のだ。

と云うことで、「訊くは一時の恥。訊かぬは一生の恥。」の言葉を、以って銘すべしである。

2006年03月08日

☆感覚の相違

現在のピアノの型になる前は、チェンバロが主体で、その後1600年頃から「クラヴィコード」が生まれた。

しかしこれらの鍵盤楽器は、弦をつめでひっかいて音を出す仕組みの為、鍵盤を強く弾いても、弱く弾いても、出る音は同じであった。

18世紀の初頭、イタリアのバルトロメオ・クリストフォリが、この二つの楽器に強弱をつけて弾ける様に造った「クラヴィ・チェンバロ ピアノ(弱く)エ(と)フォルテ(強く)」が、いつしかピアノと呼ばれるようになったのだ。

バッハやモーツァルトが、子供の頃から神童と呼ばれていたが、それはチェンバロなので軽く弾けたからだったとも云われている。

そのピアノで弾く数ある曲の中でも、ピアノでなければこの味は出せないと云う名曲がある。

作者不明と言う説と、ドイツの作曲家:フェルディナンド・ローが作ったと云う説があるが、事実は定かではない。

原題は「ノミのワルツ」と云い、ドイツ・ベルギー・オーストリアでは同じ題名だ。

しかしこの曲は、次の様に国によって題名が異なる。

オランダでは、「のみのマーチ」、デンマークでは、「侯爵夫人」

ロシアでは「犬のポルカ」、スペインでは「チョコレート」

キューバでは「あひるの子たち」、アルゼンチンでは「追い出しポルカ」

スウェーデンでは「ブタの子たち」、フランスでは「カツレツ」

スイスでは「カツレツ・ワルツ」、イギリスでは「はし(箸)」と唱されている。

〈さて・・・この曲の日本の題名が、解りますか?〉

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正解をお教えする前に、もうひとつ。

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正面から見るのと、横から見るのでは、まるで立体感が違う写真


最近よく書くこのマーク「@」。

アット・マークだが、これも国によって言い方が違う。

イギリスでは、「at sign」。 インドでは、「at」。お隣韓国では、「巻き貝」

イタリアでは「カタツムリ」、オランダでは「猿の尾」、フィンランドでは「猫の鳴き声」。

イスラエルでは「ロールケーキ」、チェコでは、「にしんの酢漬」だと云う。

と云うことで、正解は「ねこふんじゃった」だ。

同じ曲でありながら、国によってこれだけ題名が違うというのも、実に奇妙なことだ。

言葉が違う様に、曲を聞いてそのイメージを考えた時に、まるで違った題名が出て来るというのは、何だかとても不思議な気がする。

これは外国人と日本人の場合の例として書いているが、実は日本人同志でも、人間同志である以上、大きくあるいは微妙に感覚がずれているなと感じることが多々ある。

その時にでも「ノミのワルツ」や「猫踏んじゃった」と云う様に、ユーモアで解釈して、争い事にならない様に、それぞれの考え方を認め合える様にしたいものだ。

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写真は、2月22日に撮ったソニービルの立体画像。

2006年03月07日

☆大雪

僕が大雪を体験したのは、昭和39(1964)年、新潟県長岡に住んでいた時のことだ。

我が家は新築の家で、長岡にしては可成り高さのある家だった。

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前年長岡第二女子高校が我が家の後方に移転して来た為、我が家の前は女の子達の通学路になってしまっていた。
毎日何百人もの女子校生とすれ違うのは、うれしい様な、恥ずかしい様な、複雑な気持ちの朝・夕であった。

しかしこの雪の時は、女子高生の歩く道路の位置が、我が家の二階の窓から観ると、丁度目が合う高さであった。

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僕の右足が通路にあり、左足が一階の屋根にあるのが解りますか?
上の白黒写真の左の一階の屋根のことですから、如何に雪が積もったか・・・です。

そして次が、

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玄関へ、道路からの階段が出来ています。
冬になると、玄関に直接雪が吹き込まない様に、玄関の前に囲いが出来ています。

電柱と電柱との間に垂れ下がった電線を跨いで歩いたり、12月31日の紅白歌合戦の時に、屋根の雪下ろしをしたのが、今では懐かしい想い出だ。

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長岡での5年間に、豪雪・大水、そして地震を経験した。

2006年03月06日

聞き手の粗相は、言い手の粗相

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今朝、家内と少し言い争いになった。
昨晩話した内容について、僕の意図通りの手配を、彼女がしていなかったからだ。

しかし僕は5年位前から、「チャント聞かない方が悪いのではなく、言う方が、キチンと聞き手が理解したかどうか確認出来るまで説明するべきなのだ。」と解釈する様にしている。

それ以来、行き違いが大分少なくなった。
万一相手が勘違いしていても、こちらがチャント説明していないのだから、腹が立たない・・・はずだ。
と云うことで、今朝の行き違いは、何とか喧嘩にならずに済んだ。

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今日は、トリノ・オリンピックで荒川静香の金メダル以来の期待で待っていた、「ハウルの動く城」がアカデミー賞を逃してしまった。

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と云うことで、2年前に撮った写真です。

2006年03月05日

皇女・和宮


昨日3月4日(土)の「世界不思議発見」では、とても心打たれる話しと詩がありましたので、ご披露致します。

江戸から明治に代わる頃のことでございます。

当時の孝明天皇の妹・和宮は、許嫁・熾仁親王との仲を引き裂かれ、当時の14代将軍・徳川家茂( いえもち)と無理矢理結婚させられます。

天皇も和宮の気持ちを察して断りますが、徳川家からのたっての依頼が再三に亘ってあり、不承不承に承諾したのです。

その時に和宮は、こんな詩を詠んでいます。


「落ちていく 身と知りながら 紅葉(もみじは)の  人懐かしく こがれこそすれ」


この詩でもお解りの様に、京都から江戸に行くのが、余程嫌だったでしょうね。

その気持ちを察して孝明天皇は、江戸時代最大の行列の云われる、2万5千人を連ねる花嫁道中の行列で、妹を江戸に嫁がせます。

徳川幕府も迎える側として、警護・警備などで、約20万人が携わったと云われています。

家茂・和宮共に、16歳でありました。

しかし将軍・家茂は、和宮が生まれる前に父・仁孝天皇を亡くしていた境遇が、自分も同じであることから、実に優しく接し、ことある度に贈り物をしていくうちに、いつしか和宮の心は、どんどん家茂に惹かれていくようになりました。


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そんな頃、家茂は京都へ戦に出向くことになりました。(第二次・長伐戦争)

家茂は、京の土産に何が良いかと尋ねますが、和宮は何にもいらないから、ご無事のお帰りを・・・と答えます。

しかし和宮の意思に反して、家茂は亡骸となって帰還します。

その時、約束した京都の素晴らしい織物が、和宮の元に届けられました。


「家蝉(うつせみ)の唐織衣(からおりころも) なにかせむ

                         綾も錦も 君ありてこそ」    皇女和宮 作


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この詩を詠めば、どれだけ和宮が家茂を愛していたかが、理解出来ます。

「君ありてこそ」・・・こんなことを云って貰える家茂は、夭折(ようせつ)の人生ではありましたが、どれだけ幸せだったことでしょうか。

近年我々団塊世代の様に長生きして、夫婦で会話の無い様な人生を過ごすよりも、どれだけ良かったことでしょう。


江戸から明治に代わる激変の時に、時代の波に翻弄され乍らも純愛を貫いた二人の気持ちに、最近殊に涙腺の弱くなった小生は、思わず涙してしまいました。

何せ家茂は、13歳で一人で和歌山から出て来て将軍になり、亡くなったのは21歳の時ですから、若いながらも家茂の懐の大きさに、大変感心したのです。

後日談があり、官軍が江戸城侵攻の為に向かっていた時、和宮のたっての願いで、江戸の直前でその進軍を止めることが出来ました。

そしてあの有名な、勝海舟と西郷南州との会談が設けられ、江戸が無血開城されたのです。

このことで、徳川の名と血筋は残りました。

江戸侵攻の総帥が、図らずも昔の許嫁・熾仁親王であったことも、幸いしたのかも知れません。

結局和宮は形を変えて、家茂の想いに応えたのだと、僕は解釈しました。


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因みに和宮は32歳で亡くなっていますが、自分の死後、慣習に拘わらず家茂のお墓の隣りに埋葬して欲しいと依頼し、その望は叶えられました。

現在「芝増上寺」にお二人のお墓はありますが、残念乍ら一般には公開されていない様です。

2006年03月03日

雛祭り


「梅一輪 いちりんほどの 暖かさ」  服部嵐雪

3月3日は、娘の誕生日です。
彼女が産まれてから、もう30年以上も経つのかと思うと、感慨無量になります。

処で、お雛様の「へぇ!?」から・・・。

昔の人達は、紙や土などで人形を作り、自分の病・災い・災難を移し、自分の身代わりとして、川や海に流していた。
これが雛即ち、人間の雛形〜模型である。
それが平安時代になると、「御人形(ひいな)遊び」として、宮中でたしなまれる様になったものだ。

そしてお雛様は、お内裏様とお姫様。
そして三人官女に五人囃子位迄は、大抵の人が知っている。

処が三人官女は、右が10代の女性で、左が20代、そして中央が30代でお歯黒をしているのが、正式なのだそうな。
これは単に官女の姿を現しているだけでなく、お姫様の行く末を暗示しているのだ。
そして五人囃子も正式には、随身(ずいしん)と云う名前の警護を司る者達と、仕丁(してい)と云って、雑用を執り行う者達なのだそうだ。

と云うことで、現在の我が家のお雛様です。

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富山空港で買い求めました。

2006年03月02日

石田純一君とのこと

彼とは、僕が国際電話のコール・バックシステムを開発したことから知り合い、彼が回線の販売を、僕らが回線の管理をすると云うことで、契約した仲だ。

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この写真は、彼に依頼して、グルナビの会社のインタビューに応えて貰った時のものだ。


この後、一緒に食事をすることになっていたのだが、彼から、今夜は行けないとの話しが出た。

理由を訊くと、明日発売の週刊誌に、彼女(長谷川理恵さん)とのことが掲載されるので、どうしても今日中に女房と話し合っておかなければ成らないとのこと。

勿論一も二もなく了解した。

その時に「お詫びとして、次回は僕持ちで、必ず食事会をするから・・・。」と約束してくれた。

おぉ〜い、石田君!!

あの時の約束は、未だ果たされていないぞぉ!!!

しかし、彼は変わらないけど、僕は随分太ったなぁ。

2006年03月01日

☆ 遂に「開運・なんでも鑑定団」放映

昨晩、ホキ徳田さんが出演した「なんでも鑑定団」が放映された。

僕達は、制作して下さった方々や、ホキちゃんのお仲間達とも集い、午後7時から呑み且つ食べながら、その時を待っていた。

レストランにはテレビがない為に、ホキちゃんが小さなハンディテレビを持ち込んだ。

そしていよいよ9時45分になり、スタート!!

スタジオで観たのとはまた違った感覚に、ワイワイ云いながらの観覧。

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しかし改めて振り返ってみると、制作担当の杉山さんと始めて会ったのが、1月25日(水)。

次に打ち合わせたのが、28日(土)。

そして撮影が31日(火)。

スタジオ撮りが、2月4日(土)と・・・僅か10日の間に、あれだけの調査をして纏め上げた力量に、改めて、感心してしまった。

特にヘンリーについては、ホキちゃんが見たこともない写真やエピソードもあり、何よりも本人がビックリしていたのに、みんなで大笑いした。

杉山さんと田淵さんに、脱帽である。

またホキちゃんのお店の撮影の時に、ピアノの側に座っていた白髪の紳士お二人に、カメラ設営の為に、席を移動して戴いた。
ホキちゃんが言うには、あの時のお二人は、今話題の日航社長の新町さんと、副社長の羽根田さんだったとのことで、一同ビックリ!!


処で鑑定団の反響は大きく、番組宣伝が効いたせいか、ホキちゃんの処には、放映前から沢山の電話が掛かってきたそうだ。

そして当日も、終わると同時に何通もの電話があった。

そこで、同じ時間帯の視聴率について聞いてみると、一番が「細木数子」で、二番目が「鑑定団」。

ロンドンハーツが3番で、時々鑑定団以上のことがあるそうだ。

お猿が「モンキッキー」に改名しても、効果は無いと番組で言っている位だし、細木数子は、ホリエモンの今年の予想が外れたことで失格してしまったと思っていたが、どっこいそうではなかった。

細木数子、恐るべし。

しかしこの人の身にも、いつか何かが起きそうな気がしてならない。

2006年02月26日

Chance とChange

Jacasse高岡店に行って来た。

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月次会議を兼ねて、二日間で延べ8名の人達とのヒアリングをして来た。

みんなそれぞれ悩みがあり、少しでも良い方に変えて行きたいと、真剣に考えていてとても頼もしかった。


確かに志はあっても、自分自身を変えることは、難しい。

しかし・・・『過去の自分と他人は変えられないが、自分次第で自分の未来は変えられる。』と云う言葉は、実に真実を捉えている名言だと思う。

だけど中々切っ掛けが掴めない。

そこで、Chance とChangeだ。

Changeする為には、Chanceが必要になる。

だからChangeには、Chance にはない、TimeのTが入っている。

英語の大文字で書くとハッキリするが、CHANCEのの後ろから二番目のCの字に、Tの文字が入ると、CHANGEになる。

変わる為には、切っ掛けと、好機が必要なのだと云う、示唆なのだと思った。

一人一人の自覚からの変化で、集団が大きく変わっていくことを確認出来たら、とても嬉しいことだ。


閑話休題

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英語で、「この部屋貸します。」は、「To let」と書く。

そこに「I 」が入ると、「Toilet」になる。

同じ様に文字が入っても、とんでもない言葉になることもある。

お粗末様でした。

2006年02月24日

☆荒川静香とイナバウアー

荒川静香が、フィギャーで金メダルを取った。

その時に、使った技の中に、イナバウアーと云うものがある。

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この技は、西ドイツの選手で INA BAUER (1958,1959年世界選手権4位)が初めてやった技なので、その名前から付けられた。

どう云う訳か、イナバウアーには、得点が加算されない。

なのにどうして、彼女はこの技を実行するのだろうか。

それが、優勝のインタビューで解った。

僕もフィギュアスケートを滑るので解るが、滑っている時は以外にも、スケートのエッジの音がするものだ。

しかしイナバウアーの時だけは、エッジの音がしない無音状態になるので、観客の声援がハッキリ聞こえるのだそうだ。

その声援を聴いて、自分自身へのパワーとして吸収する為に、敢えて行っているとのこと。

緊張の中にありながら、自分自身に自信がないと出来ないことだと、感心してしまった。

そして回転だが、これは3秒間続けないと、得点には成らない。

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あのスピード感の中で、優雅さを加味した演技の中で、どうやって正確に3秒を計っているのだろうか。

彼女は、「one icecream. two icecream. three icecream」と数えているのだそうだ。

試してみて、僕でも出来た。

10秒でもやってみたが、ピッタリだった。

プロの技を、チョット真似できた嬉しさがあった。


★写真は、2月24日(金)の北日本新聞より

2006年02月22日

☆カドゥケウスの杖

今日の産経新聞に、次の写真が載っていた。

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世界の航空機器の販売の為のショウが始まったとの記事だった。

このへりコプターの前部分にこの絵が描いてある意味は解らないが、
図らずも今年お配りした当社のカレンダーの裏には、この杖を持った猛雷音を配してあります。

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これは当社の便箋等に使用しているものです。


◆賢者の石とツォハル

 錬金術の寓意画には、必ずヘルメスが登場し、その手には“カドゥケウスの杖”が握られている。
カドゥケウスの杖とは、長い剣に蛇が2匹、左右に絡みついたもので、錬金術の過程を象徴的に表したものであるとされる。

『カドゥケウスの杖』

 カドゥケウスの杖は生命の樹であり、その過程で最終的に醸成される賢者の石は人間の神的な部分であるヌース=叡智を示している。


以上◆からの部分は、
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/kenzyanoishi.html
より引用しました。

  更に小生が調べた処によりますと、杖の意味する処は、人類は爬虫類から進化したものであると云うこと。
しかも、日本の神社のしめ縄に通じる螺旋のエネルギーは、生命の原動力であり、永遠の命を願ってのことであること。
高じて、平和・健康・繁栄を願う杖になったと云うものです。

尚カレンダーご希望の方は、未だ若干ありますので、お申し込み下さい。

morion@oak.ocn.ne.jp へ、

お名前・電話・住所・・・このブログをどうしてお知りになったかを書いて、お申し込み下さい。

2006年02月21日

☆オリンピックのへぇ〜!?

只今、トリノ・オリンピックで賑やかですが、駅伝等で使われる「アンカー」は、一番最後に走る人のことを指す。

アンカーを辞書で引くと、「錨・頼みの綱・最終走者」等とある。

アンカーマンと云うのは、キャスター等が最後に出て来て、意見のまとめ役のことだ。


今回その語源が解って、納得した。

ギリシャ時代のオリンピックには、「綱引き」が正式種目として現存していた。

その綱引きの一番後ろにいる人を、最終の重り・・・つまり動かず固定すると云う意味で、錨から取って、アンカーと言ったのが、語源なのだそうだ。


日本の選手達は、それぞれに活躍しているが、メダルを未だ、一つも取っていない。

観ていると、技術力には殆ど差がない・・・と云うことは、精神力即ち、平常心を如何に保てるかと云う能力が、非常に大切なのだと感じられる。

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先輩から貰った、「心の平和」と云う格言が、想い出された。

2006年02月20日

☆トランプのへぇ〜!?

トランプにはマークが4つあるが、これは季節を表していると云う。
ハートが春、ダイヤが夏、クラブが秋で、スペードが冬だ。
各マーク毎に13枚ずつあるが、これは各季節が、13週ずつ91日あると云うことだ。

13週×7日×マーク4つを計算すると、364日になる。
これでは一年にならないので、ジョーカーが2枚入っている。
一枚は、毎年分。 
そしてもう一枚は、閏年用だ。
古代からカードは、占いの道具として使われて来ている。
それがゲーム化した典型的なものが、トランプだ。

そこで、変わり種トランプをご覧下さい。

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数年前のバレンタインデーに、ガールフレンドから貰ったもので、使わずに大事に取っておいた品です。

2006年02月19日

☆エピフォン


「エピフォン・カジノ」と云うギターは、ジョン・レノンが映画「Let it be.」の中で使って有名になった。

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僕が持っているこの写真のギターが、ジョン・レノンが使っていた「エピフォン・カジノ」そのものだ。

元々は、色が付いていたものを、ジョンが自分でサンド・ペーパーを使って色を落として、気に入るように仕上げたと聞いている。

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このギターは、今年の誕生日に、ホキ徳田さんから戴いたものだ。

以前書いた様に、1月31日でホキちゃんが経営していた「ボストン・カフェ」を一旦閉じたので、使っていたギターを、小生の誕生日兼閉店記念で、下さったものだ。

両方見比べて貰えば解るが、殆ど同じ形をしている。

念願のギターが手に入り、しかもホキちゃんからプレゼントされたと云うことで、

格別の想いが籠もったものになって、とても嬉しい。


因みに以前、洋子さんからジョン・レノンのイベントの時に借りた時、このギターに掛けた保険金額は、2億円だった。

2006年02月18日

☆ジョン・レノンミュージアムについて

小野洋子さんと、ジョン・レノンのミュージアム建設の契約をしたのは、1991年7月17日のことだ。

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洋子さんがサインしている処。


地域は、日本国内に限定されていた。

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僕がサインしている処。


この時同時に、ジョンが描いた絵画のリトグラフ販売の権利も取得した。

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契約締結後の堅い握手。


これから、このミュージアムについて、追々書いていきたいと思います。

今日は洋子さんの誕生日なので、書き始めの日にしました。

2006年02月13日

表参道ヒルズに行って来ました!!

11日(土)の開店だと云うことでしたが、月曜日でもありますし、空いているだろうと予想して行きましたが、見事に外れました。

地上3階・地下3階と云う構造で、全ての階が回廊になっていて、階段を使わなくても、ぐるぐる回って歩ける様になっています。

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昨日は余りの混雑に、全ての階の歩く方向を一方通行にしており、一部のお店では、入場制限がされる程の混雑振りでした。

古い建物の同潤館も一部残されており、その中は主に、画廊になっております。
    
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これは内部を、両サイドから観た処です。

一軒当たりの面積が狭い店が多く、果たしてやっていけるか、少し心配になりました。


その中でも、安価な店と、ステーショナリーのお店だけは、人が沢山入ってました。

それと、チョコレートのお店。

さぁ明日は、年に一度のバレンタインデーだ。

友人達が経営する会社「オアカック」のチョコレートが、沢山売れると良いんだが・・・・。

http://www.oacac.jp/

2006年02月11日

池袋の街を歩いていて、見付けた!!

写真をご覧下さい。

正面から見ると、女の人の象だけれど、角度を替えると、後ろの凹面鏡に反射して、見える景色がまるで変わってしまう。

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次の写真は未だ解るが、最後の写真になると、どこまでが実像で、どこからが鏡に写っているのか解らなくなる。

2.JPG
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フォークマンを耳にしたまま歩いている人を、時々観る。

一切の音を遮断するよりも、風の音や季節の香を感じながら、ゆったりと歩いてみてはどうだろう。

50歳を過ぎる頃から、車に乗ることを止め、自転車も少なくして、出来るだけ歩く様にしてみて、今迄解らなかった、移り変わる季節を肌で感じる様になった。

皆さんも、試してみては如何ですか!? 

2006年02月10日

美しい日本語

先月の会合で行ったお店の女将さんから、お礼のお手紙を戴いた。

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「春・・・よ 来い
    先日ハ貴重なるお時間 小店ニ
ご来店賜り ありがとうございました
不行き届きの数々 どうぞ
ご海容下さいますよう
残寒かえって厳しき折 切ニ切ニ
ご自愛下さいまして 益々の
ご活躍 祈念申し上げます
梅見月佳き日     かしこ  」

このお手紙の中で、「ご海容」と云う言葉は、始めてだった。
思わず、辞書を引いてしまった。
海が広く物を容れる意。
寛大の心を以て、人の罪過をゆるすこと。 とあった。

そして「残寒」も、余り聞かない言葉だ。

結びに、「梅見月佳き日」とある。

これは、昔の人がその文面や言葉に惚れて、手紙や和歌の交換をしている内に、
その人に逢いたいと思う気持ちになっていくと云うことが、とても良く理解出来るお便りだった。

小柄で、着物姿がキリリとした女将さんに、また逢いたくなった!!

2006年02月09日

秋篠宮殿下御夫妻

2000年11月28日(火)サンシャインで、全国水族館の会議があった時に、秋篠宮殿下御夫妻が、ご来臨された。

当時の当社では、人材派遣の仕事をしていたので、そのパーティー会場の司会を始め、取り仕切りを任されていたので、お目に掛かることが出来た。

その時のスピーチをしておられるのが、この写真だ。

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お二人とも気さくに皆さんに声を掛けておられ、談笑する姿は、どうして皇族と云われる方々は、「やんごとなき」と云う表現がピッタリなのだろうと感じた。


一昨日7日の夕方に、紀子様がご懐妊されたと報道された。

国会で応酬中の小泉総理が、その一報のメモを見た時の表情は、チョット不思議な顔だった。

小生は、紀子さんには、是非男子のご出産を望んでいる一人ですが、何よりも男子のご誕生を願っているのは、実は皇太子妃・雅子様ではないだろうか。

もし紀子さんに男子ご出産となれば、雅子さんに対するプレッシャーはなくなりながら、雅子さんは皇后の地位に着けるし、紀子さんは、皇后にも、皇太后と云う地位にも着けると云う、言わば一石三鳥の効果が期待出来る。

そうなれば、昨今喧しかった皇位継承の問題も、これから50年位は論議されることも無いだろう。

以外なことだけれど、海外でもこの問題については、可成り大きく取り上げられている。

皇室を持っている国は勿論だが、皇室がない国については、もっと感心が高いと報じられていた。


いずれ将来、どうしても男子がお生まれにならなかった時に、国民投票で決めたらどうだろうか。

何はともあれ、今国会での決定はなくなったことは、取り敢えずは良かった。

2006年02月08日

誕生日のプレゼント

今日は、一昨日撮った写真を、田原君が持って来てくれた。
期待通り、嬉しい出来映えであった。

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撮して貰った写真の全てを見て解ったことは、なんと酷い顔だろうか・・・と云うことだ。
僕は13年程前に、タバコを吸うのを止めてから、45kgだった体重が、
あれよあれよと云う間に、59kg迄膨らんでしまった。
ウェスト・サイズは、73cmだったものが、今は85cmである。
最近知り合った方々は、痩せていた頃を知らないので、今の方が良いと云ってくれるが、
当人は、昔の方が動きやすかったし、今よりはカッコ良かったと思っている。
だから今年の誕生日には、家族から「SLENDERTONE」と云う、お腹の脂肪を取る為の器具を買って貰った。

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生来の怠け者なので今までは、毎日必ず続けなければと云うので、長続きしないからだ。
はてさて、痩せられますやら・・・。

2006年02月06日

僕の写真を撮って貰いました!!

今日は、僕のホームページ作成の為の、写真撮影をした。
場所は、原宿で新しくオープンする、表参道ヒルズの前で。
道往く人がこちらを見るので恥ずかしかったが、モデルは悪いけどカメラマンが良いので、満足のいく出来映えの写真が撮れた。
今週末には、ご披露出来そうです。

撮影してくれた田原直さんは、芸術は爆発だぁ〜で有名な、故岡本太郎氏や、ヤマハの創業者の故川上源一氏等に可愛がられた人だ。
その彼が撮影後、こんなことを言った。
「老後と云う言葉があるけれど、それじゃあ老前は、どうなっているのだろう?」と。

僕の解釈では、退職して隠居生活に入った段階から始まると云うものだった。
しかし彼は、「老いるに、前も後もなし。馥郁たるかな。」と結んだ。
馥郁(ふくいく)とは、「良い香りの漂うさま」のことだ。
自分自身の存在が、人に喜びを与えて行きたいと彼は云いたいのだと、僕は解釈した。

素晴らしい友人から、素敵な言葉を貰った。

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2006年02月04日

「開運なんでも鑑定団」

行って来ました・・・「開運なんでも鑑定団」の撮影に!!

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テレビ・スタジオには、何度か行ったことがありましたが、楽屋入りは始めての経験でした。

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楽屋割は、ご覧の写真の様になってました。

僕は、撮影の前には、司会者が各ゲストの楽屋を廻って、挨拶をしたりするのかと思ってましたが、全くそんなことはなく、本番で始めて対面すると云う形式でしたので、ビックリしました。
ゲストは勿論ですが、島田紳助が、ゲスト本人の紹介ビデオを見た上で有る程度判断して、実に当意即妙の話芸をすることが、あの番組の可成り重要な要素になっているのだと、改めて感じました。
また出演された方々を、全て間近で拝見しましたが、前から言われている通り、テレビで見るよりも、太っている印象で見えたのは、何故なんでしょうか。
その中でも加藤紀子さんは、実際には凄い美人なのに、テレビだと大して綺麗に映らないのは、大きな疑問でした。
ホキちゃんの楽屋が、出入り口の処にあった為に、出演した方々は、ドアの前に佇む見たこともない人間である小生に対して、必ず「おはようございます!!」と挨拶して通り過ぎたのには、感激でした。
後は、2006年 2月28日(火)午後9時から、テレビ東京12chを、是非見て下さい。

ホキちゃんについての解説、ヘンリー・ミラー氏についての説明等、よくあの短い時間の中で纏めたものだと、感心しました。
ご担当下さった、杉山さんと田淵さんに、感謝 感謝でした!!
スタジオ内は撮影禁止でしたので、楽屋で撮った一枚です。
前回はお尻だけだったホキちゃんの、撮影後のチョットしゃれた一枚です。

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2006年01月31日

「ボストン・カフェ」閉店

昨日で、ホキちゃんのお店、「ボストン・カフェ」が一旦閉店する。

昨晩は、最終日と云うこともあって、お店は開店以来、沢山のお客様が訪れた。
ホキちゃんは昔、アメリカの文豪「ヘンリー・ミラー」の奥さんになって、一躍有名になったが、
実はその前から、11PMで、スリー・バブルスの一員として唄っていたし、
ヌード写真を、男性誌に披露したりしていたので、それなりに有名でもあった。
しかしヘンリーに見初められたことで、一躍世界的に有名になってしまった。

ヘンリーの名声に加えて、30歳と75歳の結婚と云うことで、ホキちゃんの売名行為だとか、
お金が目当ての結婚だとか、色んな悪口を云われた様だ。
詳しくは、別の機会にお話ししますが、兎に角僕は、あの店があのまま閉店するのは、
実に勿体ないと考え、思いきって、「なんでも鑑定団」に話しを持ち込んだ。

そうしたら、あれよあれよと云う間に話しが進み、昨晩ホキちゃんのインタビューと、
お店の様子の撮影を終了し、今週の4日(土)には、いよいよスタジオ撮影の段取りに迄発展した。
付き添い兼見学と云うことでスタジオ入りするのが、今から楽しみだ。

写真は、昨夜のボストンカフェの店内の様子。
真ん中にホキちゃんの大きなお尻が見えて、右端には、ミッキー・カーチスさんの横顔が映っている。

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そして、ヘンリーミラー氏とホキちゃんの結婚式の時の写真。

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